名坂村(読み)なさかむら

日本歴史地名大系 「名坂村」の解説

名坂村
なさかむら

[現在地名]安富町名坂

南流する安志あんじ(現林田川)両岸に位置し、南は安志村、南東三森みつもり村。南から菅谷すげだに大町おおまち・名坂・下河けごの集落がある。慶長国絵図に村名がみえる。領主の変遷は延宝七年(一六七九)まで安志村と同じ。同年から幕末まで三森村と同じ。江戸時代前期の検地年次は安志村と同じ。正保郷帳では田方一六六石余・畠方九九石余。天保郷帳では高二八四石余。寛文―延宝(一六六一―八一)の小物成は楮役五三匁余・茶役二三匁余・山畑役二六四匁余・馬役二九匁余・桑役(真綿)四三〇目、家数四六・人数三四七、馬二九・牛三三。

名坂村
なさかむら

[現在地名]水口町名坂・東名坂ひがしなさか日電にちでん綾野あやのささおか

水口美濃部みなくちみのべ村の北西、水口丘陵裾に集落を形成。北は丘陵を介しやま村三ヵ村などと接する。村南には綾野と称する原野があった。中世は柏木かしわぎ御厨に属し、柏木御厨年貢注進目録(山中文書)の元徳三年(一三三一)分に「那坂寺」とみえる。弘治三年(一五五七)五月二三日の又七郎田地売券(同文書)では「甲賀上郡柏木之内字那坂村」とあり、古くは那坂とも記した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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