吉祥草寺(読み)きちじようそうじ

日本歴史地名大系 「吉祥草寺」の解説

吉祥草寺
きちじようそうじ

[現在地名]御所市大字茅原小字中ノ坊

茅原ちはら集落のほぼ中央に位置。茅原山金剛寿院と号する単立寺院。もと高野山真言宗。役小角の創建と伝え、延喜二年(九〇二)山城醍醐寺開山聖宝が勅を奉じて再建、貞和五年(一三四九)兵火によりことごとく焼失。中世の大峯修験と関係が深く、寺内には徳蔵とくぞう院・真言しんごん院・千手せんじゆ院・泉良せんりよう院などの子院があった。「大和志」に「旧隷三輪平等寺有正堂拝堂千手堂行者堂伽藍神鐘楼笠堂僧坊六宇傍有石仏像勒曰天正五年二月造」とある。本堂は応永年間(一三九四―一四二八)建立と伝えるが、江戸時代に改築本尊は五大尊で、不動明王を中心に大威徳明王・降三世明王・軍荼利明王・金剛夜叉明王を配する。傍らに貞観期(八五九―八七七)薬師如来立像、鎌倉時代初期の地蔵菩薩立像を安置する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報