千手(読み)せんじゅ

精選版 日本国語大辞典 「千手」の意味・読み・例文・類語

せん‐じゅ【千手】

[1] 千本の手。また、多くの手。
※わらんべ草(1660)四「狂言は、千手、千眼の、理を以てする業也と、よくしるべし」 〔千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経〕
[2]
※霊異記(810‐824)中「千手の像に向かひて、福分を願ひ」
[二] 平安末期の遊女。駿河手越(てごし)の長者の女。鎌倉に捕えられた平重衡(たいらのしげひら)の寵愛を受けた。重衡の死後、長野の善光寺にはいり出家したという。「平家物語‐一〇」の「千手の前」に登場する。永万元~文治四年(一一六五‐八八
[三] 謡曲。三番目物。各流。喜多流では「千寿」と書き、参考曲とする。金春禅竹作。古名「千手重衡(せんじゅしげひら)」。一谷の戦いで生け捕られた平重衡は、鎌倉に送られ狩野介宗茂(むねもち)に預けられている。手越の長者の娘千手の前は、頼朝の命で重衡を慰めに訪れ、酒宴を催して朗詠や白拍子を歌い舞を舞う。重衡も興にのって琵琶(びわ)をひくと、千手はそれにあわせて琴を奏する。やがて勅命によって都に送り返される重衡を千手は泣きながら見送る。

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デジタル大辞泉 「千手」の意味・読み・例文・類語

せんじゅ【千手】[人名・曲名]

平家物語に登場する遊女。駿河国手越てごしの長者の娘。鎌倉に捕らえられた平重衡たいらのしげひらの寵愛を受け、重衡が切られたのち、信濃の善光寺に入って弔ったという。
(「千寿」とも書く)謡曲。三番目物金春禅竹作。捕らわれて鎌倉にいる平重衡のもとへ源頼朝が千手の前を遣わし、二人は酒宴を催して歌い舞うが、やがて重衡は都に返される。

せん‐じゅ【千手】


千本の手。非常に多くの手。
千手法」の略。
千手陀羅尼だらに」の略。
千手観音」の略。
[補説]人名・曲名別項。→千手

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日本歴史地名大系 「千手」の解説

千手
せんじゆ

[現在地名]川西町水口沢みなくちざわ中屋敷なかやしき東善寺とうぜんじ上新井かみあらい山野田やまのた沖立おきだて鶴吉つるよし霜条しもじよう坪山つぼやま高原田たかはらだ伊勢平治いせへいじ友重ともしげ宗正むねまさ弘道新田こうどうしんでん

信濃川左岸の河岸段丘の南部一帯の呼称。狭義には伊勢平治の長徳ちようとく寺千手観音堂門前に開けた門前町を千手市・千手堂せんじゆどう町といい、この門前町を中心に周辺の水口沢村中屋敷村東善寺村山野田村・上新井村・沖立村を千手郷あるいは千手市場組合六ヵ村と呼称した。広くはこれら七ヵ村に旧中野なかの村八ヵ村を加えた地域をさす。近世は、千手堂町を中心とした千手市場組合七ヵ村をさす場合が多い。安永四年(一七七五)の新市故障願書(南雲栄介氏蔵)には、この七ヵ村は「銘々村名相分候得共、七ケ村共惣名を千手組合申候、右千手申者往古より之市場ニ、則七ケ村之者共千手新田町屋敷高弐拾五石壱斗三合、水口沢地内ニ御高奉請七ケ村より出百姓仕、年々七月六日より十二日迄諸品物売買馬市等相立、七ケ村出百姓共渡世相続仕来、元村七ケ村之儀も右市中之諸売物運送等を以、渡世助成仕来候場所ニ御座候」とある。

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改訂新版 世界大百科事典 「千手」の意味・わかりやすい解説

千手 (せんじゅ)

(1)平曲の曲名。《千寿》とも書く。《千手前(せんじゆのまえ)》とも称する。平物(ひらもの)。フシ物。源平の戦で捕虜になった平重衡(しげひら)が鎌倉へ護送されたので,頼朝が対面し,東大寺焼討ちの責任についてただす。重衡は一門の不運を嘆き,自分の処刑を急ぐよう願うが,奈良の寺院の意向も聞かねばというので許されない。重衡は狩野介宗茂(かののすけむねもち)に預けられ,手越(てごし)の宿(しゆく)の長(ちよう)の娘の千手前が世話をすることになる。雨の降る夜,千手は琵琶,箏(こと)を持って重衡の前に出た。宗茂も酒を勧める。千手の歌った〈羅綺(らき)の重衣(ちようい)たる……〉という朗詠は北野天神の御作で,歌えばその加護があるといわれていた(〈折リ声・サシ声〉)。しかし重衡が,もはやこの世の運命は決定していると言うので,〈十悪といへども猶(なお)引摂(いんじよう)す……〉の朗詠,〈極楽願はん人は……〉の今様を数回歌うと,重衡も杯を重ねた(〈中音(ちゆうおん)〉)。管絃の曲では,〈後生楽〉に通じる曲名の《五常楽(ごしようらく)》,〈往生の急〉に通じる《皇麞急(おうじようのきゆう)》が奏された。千手がさらに,〈一樹の陰に宿り……〉の白拍子を歌うと,重衡も〈ともし火暗うしては数行(すこう)虞氏が涙……〉という朗詠を歌う(〈三重(さんじゆう)〉)。この朗詠は,楚の項羽が軍に敗れ,妃の虞氏と嘆き合ったという故事の詩である(〈初重〉)。こうして人々は夜明けに退去したが,あとで聞くと,頼朝が夜通し立ち聞きして重衡の歌と琵琶に感じ入っていたという。のちに重衡はふたたび都に送られ,奈良で斬られたので,千手は尼になって信濃の善光寺に入り,重衡の後世(ごせ)を弔ったという。

(2)能の曲名。喜多流は千寿と書く。三番目物鬘物(かつらもの)。作者不明。シテは千手前。狩野介宗茂(ワキ)に預けられた平重衡(ツレ)を千手前が訪れ,酒宴の席で朗詠などが歌われるという,平曲の筋を舞台化した能だが,歌い物の数を減らした代りに重衡の身の上を〈クセ〉で描き,千手の舞(〈序ノ舞〉)を添え,重衡が都へ再護送されるのを千手が見送るところで終わる。〈クセ〉の詞章の大部分は重衡の述懐であるのに,それを千手に舞わせるという演出に無理があるため,観世流にはこの部分を省く変型の演出も用いられる。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千手」の解説

千手 せんじゅ

1165-1188 平安後期-鎌倉時代の女性。
永万元年生まれ。駿河(するが)(静岡県)手越(てごし)の長者の娘。源頼朝の妻北条政子の侍女。一ノ谷の戦いで捕らえられ,鎌倉におくられた平重衡(しげひら)の身のまわりの世話をし,琴,琵琶を奏してなぐさめた。重衡の処刑後,病になったとも,善光寺にはいり尼となったともいう。文治(ぶんじ)4年4月25日死去。24歳。名は千寿ともかく。

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世界大百科事典(旧版)内の千手の言及

【川西[町]】より

…おもな集落は信濃川の段丘面に分布し,盆地内では最大の米作地域となり,魚沼コシヒカリの産地として知られる。中心地の千手(せんじゆ)は近世には善光寺街道の馬継場で,馬市でも知られた。絹織物で有名な十日町市,小千谷市に隣接し,縮織の出機(でばた)地域でもあった。…

※「千手」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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