吉利支丹墓碑(読み)きりしたんぼひ

国指定史跡ガイド 「吉利支丹墓碑」の解説

きりしたんぼひ【吉利支丹墓碑】


長崎県南島原市西有家町にある墓碑島原半島の南岸、天草を南に望む海浜の共同墓地に所在する。1929年(昭和4)に地中から発見され、現在は新しい墓碑に囲まれている。近世初期におけるキリスト教布教の状況などを知るうえで重要とされ、1959年(昭和34)に国の史跡に指定された。全長約1.21m、幅約0.56m、高さ約0.39mの半円柱蓋石形と呼ばれる蒲鉾形で、材質は俗に天草石といわれる天草産の砂岩。碑の上面や正面に十字紋が刻まれ、裏面ローマ字で「ヒリ(堀)作右衛門ディオゴ生年83御出生以来1610 10月16 慶長15」と彫られており、日本最古のローマ字による碑文である。全国にあるキリシタン墓碑約150基のうち、約130基が島原半島にあるが、島原の乱後、江戸幕府の政策により半島に移住した人々の間に修験道が盛んになり、キリシタン墓碑を「山伏(やんぼし)さんの墓」として恐れたため破壊を免れたといわれている。島原鉄道島原鉄道線島原駅から島鉄バス「南島原市役所前」下車、徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報