吉仲庄(読み)よしなかのしよう

日本歴史地名大系 「吉仲庄」の解説

吉仲庄
よしなかのしよう

仲は中とも書く。紀ノ川貴志川の合流点やや南方、現丸栖まるす調月つかつき(現桃山町)の辺りを荘域とした荘園。「兵範記」仁平三年(一一五三)一〇月二八日条に、

<資料は省略されています>

とみえる。それによると藤原道長が建立した京都法成寺領として、これより五〇年ほど以前に成立し、この一〇年来平信範が知行してきた。しかし左大臣藤原頼長の命によって為親の知行に交替させられたことがわかる。法成寺領として成立した経緯は未詳だが、嘉暦二年(一三二七)後九月一三日の関白家御教書(宝簡集)は「治安以来知行」と主張している。

平治元年(一一五九)東隣の荒川あらかわ(現桃山町)が美福門院より高野山に寄進されると、吉仲庄の者が、田中たなか(現打田町)預所佐藤仲清らと呼応して、度々示を越えて荒川庄侵掠した(応保二年一一月日「東寺挙状案」又続宝簡集など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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