古文運動(読み)こぶんうんどう

改訂新版 世界大百科事典 「古文運動」の意味・わかりやすい解説

古文運動 (こぶんうんどう)

9世紀初め,中国の唐代に韓愈や柳宗元がおこした散文改革運動。六朝時代に対句や典故,平仄(ひようそく)などを極端に重視する四六駢儷文(駢文べんぶん))が流行し,唐代にも引き継がれたが,安史の乱(755-763)によって貴族社会の基盤が大きく揺らぐとともに,この装飾的で内容の空疎な美文に対する反省の機運が高まった。特に科挙出身の新興官僚層が彼らの思想や主張を表現できる達意文体を強く求め,その模範を司馬遷の《史記》や諸子百家の文章に見いだした。韓愈がそれを〈古文〉と呼んだのが〈古文運動〉の名のおこりである。駢文に対する反省は,つとに北周の蘇綽(そしやく)らに認められ,唐では陳子昂(ちんすごう)に始まり,蕭穎之(しようえいし),独孤及,梁粛らへと受け継がれていったが,いずれもその主張に見合うだけの実作がともなわなかった。韓愈は漢代以前の散文を手本としつつも,使い古された言葉をつとめて避け,語彙や表現に意を用いて,新しい文体の創造をはかり,墓誌銘や書簡序文など,いろいろなスタイルの文章に新機軸を打ち出した。韓愈はさらにこの運動を孔子や孟子の儒学の伝統を復活させる主張と結びつけたことから,11世紀におこった宋学に大きな思想的影響を与えることになる。一方,伝統に束縛されない合理主義の精神で古典の再解釈や文献批判をおこなった柳宗元は,その論理の鋭さ,構成の緻密さにおいて韓愈にまさるものがあり,また山水遊記に新境地を開拓して注目された。彼らが提唱した古文は,唐末から宋初にかけて一時忘れられていたが,北宋欧陽修が科挙の試験に古文で答案を書いた蘇軾(そしよく)・蘇轍(そてつ)・曾鞏(そうきよう)ら,のちに〈唐宋八大家〉に数えられる人々を合格させたことから,古文は完全に散文の主流となり,以後,今世紀のはじめ口語(白話文)運動がおこるまで,その地位は揺らぐことがなかった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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