蘇轍
そてつ
(1039―1112)
中国、北宋(ほくそう)の政治家、文学者。字(あざな)は子由(しゆう)、号は潁浜遺老(えいひんいろう)。蘇轍は文人蘇洵(そじゅん)を父として、当時は蜀(しょく)とよばれていたいまの四川(しせん)省の眉山(びざん)県に生まれた。蘇軾(そしょく)(東坡(とうば))はその兄である。わずか19歳で兄と同期に科挙の進士科に及第、続いて制科(特別任用試験)にも合格して、官僚生活に入るが、王安石らが神宗皇帝に支持されて推し進めた新法(行財政革新策)に反対したため、その前半生はいたって不遇な生活を送った。のち元祐(げんゆう)年間(1086~1093)になって旧法党が政権を握ると、天子の側近に職を得て昇進を重ね、礼部尚書を経て参知政事(副宰相)に至ったが、晩年には兄に連座して流罪の辛酸をなめた。散文に優れて「唐宋八大家」に数えられ、詩は篤実な人柄を反映して穏やかな詩風である。『欒城(らんじょう)集』のほか、哲学、文学にわたる多くの著作を残している。
[山本和義 2016年2月17日]
『清水茂著『中国古典選 唐宋八家文 下』(1966・朝日新聞社/朝日文庫)』
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蘇轍
そてつ
Su Zhe
[生]宝元2(1039)
[没]政和2(1112)
中国,北宋の文学者。眉州眉山 (四川省) の人。字,子由。号,潁浜 (えいひん) 。嘉祐2 (1057) 年兄の蘇軾 (そしょく) とともに進士に及第。兄と同じく,新法党から直言を敵視され,転変ただならぬ官吏生活をおくり,最後に大中大夫で辞職し,潁昌 (河南省) で余生を終った。父の蘇洵,兄の蘇軾に対し「小蘇」と呼ばれ,またともに「三蘇」と称される。文は「唐宋八大家」の一人に数えられるが,詩は軾にはるかに及ばない。詩文集『欒城 (らんじょう) 集』 (84巻) ,『詩伝』『春秋集伝』『古史』など。 (→唐宋八家文 )
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そ‐てつ【蘇轍】
中国、北宋の文人。字
(あざな)は子由。号は潁浜遺老
(えいひんいろう)、欒城
(らんじょう)。
洵の子、軾の弟。洵の老蘇、軾の大蘇に対して小蘇といわれる。唐宋八大家の一人。仏教の影響の強い文章を書いた。王安石の新法に反対し、兄に連座して流謫
(るたく)。著に「詩伝」「欒城集」など。(
一〇三九‐一一一二)
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デジタル大辞泉
「蘇轍」の意味・読み・例文・類語
そ‐てつ【蘇轍】
[1039~1112]中国、北宋の政治家・文学者。眉山(四川省)の人。字は子由。号は潁浜遺老。唐宋八家の一人。父蘇洵・兄蘇軾と合わせ三蘇とよばれる。小蘇。著「詩伝」「春秋伝」など。
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そてつ【蘇轍 Sū Zhé】
1039‐1112
中国,北宋の文人。蘇洵(そじゆん)の第3子として現在の四川省眉山県に生まれた。蘇軾(そしよく)は3歳年長の次兄である。19歳で兄軾と同時に科挙の進士科に及第して官界に入るが,新旧両党派の抗争のさなかにあって,旧法党の兄に連動するかたちで浮沈した。宰相に次ぐ尚書右丞がその最高位であるが,流罪の憂き目にも遭っている。篤実な人物で,詩文にすぐれ,《欒城(らんじよう)集》などの著作がある。〈唐宋八大家〉の一人。
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