南笠置村(読み)みなみかさぎむら

日本歴史地名大系 「南笠置村」の解説

南笠置村
みなみかさぎむら

[現在地名]笠置町大字笠置

北笠置村木津きづ川を挟んだ対岸に位置し、集落の東方に笠置山がある。笠置山の西麓、打滝うつたき川沿いに柳生やぎゆう(現奈良市)への道が通る。当地は笠置山上の笠置寺の麓集落として、また奈良諸大寺の材木を流筏する木津川最上流の津として古くから開けたと考えられる。

笠置津は笠置参詣のためにも利用されており、寛弘四年(一〇〇七)六月八日笠置寺を訪れた藤原道長は、その日記「御堂関白記」に「従寺帰、山城介真助朝臣、奉仕雑事、笠置津渡間賜禄物」(同月九日条)と記す。また元永元年(一一一八)閏九月に参詣した藤原宗忠は、飯岡いのおか(現綴喜郡田辺町)木津(現木津町)賀茂かも(現加茂町)と木津川を舟で遡上賀茂で宿をとり(「中右記」同月二六日条)、翌朝「卯剋出舟、漸泝流、南北山勢誠嶮岨、奇巌怪石風流勝絶、河水漲来、高棹迅瀬、已着笠置津」(同二七日条)と当地に至っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報