南方一色村(読み)みなみかたいしきむら

日本歴史地名大系 「南方一色村」の解説

南方一色村
みなみかたいしきむら

[現在地名]久米町一色いしき

北は南方中みなみかたなか村、東の低丘陵山裾を神代こうじろ川が北流し、川に沿って耕地が開け、備前への道が通る。北畝きたうね・中畝・南畝の集落に分れる。永正一八年(一五二一)四月一五日の江原佐次寺領支証施入状写(幻住寺文書)に「大井庄南方内一色村支証寄進状 数拾七通」とある。もと大井南方おおいみなみかた村と称したといい、一般に南方を略して一色村といった。正保郷帳では田方二一〇石余・畑方五四石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳の改出高四七石余・開高五石余。「作陽誌」の戸口は三一軒・一五八人。元禄一一年幕府領となり、同一五年上野安中藩(のち三河挙母藩)内藤氏領となり明治まで続く(「美作国郷村支配記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android