南宇内村(読み)みなみうないむら

日本歴史地名大系 「南宇内村」の解説

南宇内村
みなみうないむら

[現在地名]会津坂下町宇内うない

東を旧みや(鶴沼川)が北流し、その対岸青津あおづ村、北は北宇内村、南は上宇内村。本村の北西八町に端村はらがある。もと宇内村であったが、のち上・南・北に分れ、文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に南宇内とあり、高四四三石余で、「此内二百十五石六斗川ヲシ当荒」と注記される。青津組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高五六四石余。化政期の家数は本村四九・原二(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数五三(寺一)・人数二八八(人員録)。同八年北宇内村と合併して宇内村となる。

浄土宗浄運じよううん寺は高寺山と号し、高寺の子院と伝えるが寛永年中(一六二四―四四)の火災で本尊・旧記を失い、明らかでない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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