南坊宗啓(読み)なんぼうそうけい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南坊宗啓」の意味・わかりやすい解説

南坊宗啓
なんぼうそうけい

桃山時代の禅僧、茶人。生没年不詳。利休の高弟といわれ、茶書『南方録(なんぽうろく)』の筆者とされる。泉州(大阪府)堺(さかい)の南宗寺(なんしゅうじ)の塔頭集雲庵(たっちゅうしゅううんあん)第2世住持と自称。堺の富商淡路(あわじ)屋の出身ともいわれる。1593年(文禄2)2月28日、利休三回忌の霊前香華(こうげ)・茶菓を供え、誦経(ずきょう)・回向(えこう)をし終えたあと飄然(ひょうぜん)として立ち去ったという。その正体が正確につかみえないのに、南坊宗啓ほど高名な茶人もいない。それはひとえに茶道秘伝書として伝来した『南方録』の筆者であることによる。しかしその『南方録』も後世の茶人の仮託による部分が多い。ちなみに、南宗寺の僧で利休の茶杓(ちゃしゃく)の下削りをしたという慶首座(けいしゅそ)と同一人とされることもある。

[筒井紘一]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南坊宗啓」の解説

南坊宗啓 なんぼう-そうけい

?-? 織豊時代の僧,茶人。
堺の商人淡路屋の生まれ。堺の禅通寺で得度し,のち臨済宗(りんざいしゅう)南宗寺集雲庵の住職。千利休の高弟で,文禄2年(1593)茶の秘伝書「南坊録」をあらわしたとされる。おなじく集雲庵の住職で,利休茶杓(ちゃしゃく)の下削りをした慶首座(しゅそ)と同一人ともいわれる。別称に慶蔵主(ぞうす),隣首座。号は集雲庵。法名は宗慶とも。
格言など】家は漏らぬほど,食事は飢えぬほどにて足る事なり(「南坊録」)

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世界大百科事典(旧版)内の南坊宗啓の言及

【南方録】より

…まず《南方録》とその発見者とされる立花実山(1656‐1708)の記すところに従って,その成立過程を述べよう。堺の南宗寺の塔頭,集雲庵住持南坊宗啓(生没年不詳)は,わび茶の大成者千利休に近侍し,見聞する利休の言動や秘伝,茶会を克明に記録し,1巻まとまるごとに利休の検閲をうけて秘伝書6巻を書いた。各巻は〈覚書〉〈会〉〈棚〉〈書院〉〈台子(だいす)〉〈墨引〉で,最後の巻はあまりに秘伝が多いので墨を引いて捨てるように命じられたという。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」