南出村(読み)みなみでむら

日本歴史地名大系 「南出村」の解説

南出村
みなみでむら

[現在地名]名張市みなみ町・木屋きや町・豊後ぶんご町・大谷おおたに

北出きたで村の西にあり、名張川が村の西から北をめぐるように西にし(大谷山)の麓を流れる。天喜二年(一〇五四)六月五日の東大寺申状案(三国地志)に「名張河流、而依其瀬改変不定」とあり、保安五年(一一二四)二月二九日の伊賀国黒田杣司等解(中村雅真氏所蔵文書)に「去保安二年八月廿五日・同三年七月日・四年八月廿三日、三箇度洪水」とあるように、度重なる洪水によって流路が変化し、新旧河流の間に広い川成地が形成され、古河こがとよばれ、大治(一一二六―三一)頃には桑田となっていた(同四年一一月二一日「東大寺所司解」平岡定海氏所蔵文書)

南出村
みなみでむら

[現在地名]白山町南出

おか村の西南なかノ村の南にある。大村おおむら川に沿う平野の中央部に立地。南は大村川と雲出くもず川に挟まれた稲荷いなり山を中心とする台地があり、その南の古市ふるいち村に境を接する。中世小倭おやまと郷に属する。「勢陽雑記」は、天正一二年(一五八四)蒲生氏郷が小倭を攻めた時に、当地に城を構えた小倭七党の武将吉懸氏を攻落したと伝える。天文六年(一五三七)八月一三日の森長康弘寄進状(成願寺文書)に「吉懸ノ森長殿ヨリノ寄進状」とみえ、吉懸氏は森長氏の同族をなした一族と考えられる。

南出村
みのでむら

[現在地名]高石市綾園あやぞの四丁目・同六丁目など

市場いちば村の西にあり、綾井あやい五ヵ村の一。田地入組みのため村域は確定しがたい。天保期(一八三〇―四四)の泉州一橋領知村々様子大概書(一橋徳川家文書)に「ミノデ」の訓がある。江戸時代前期には綾井村のうち(→市場村。延宝五年(一六七七)の綾井村年々下札写(井上家文書)によると、南出村は市場村・大園おおぞの村とともに本郷三ヵ村とされ、当時の村高は二〇三石余。元禄二年(一六八九)から延享四年(一七四七)までの領主変遷は市場村と同じ。延享四年一橋領知となり(大概書)幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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