千葉神社(読み)ちばじんじや

日本歴史地名大系 「千葉神社」の解説

千葉神社
ちばじんじや

[現在地名]中央区院内一丁目

千葉町の中心地に鎮座し、江戸に通ずる房総往還に接して建立された真言宗の北斗山金剛授こんごうじゆ尊光そんこう院を前身とする。妙見寺または妙見宮とも称され、広く千葉の妙見様として親しまれていた。明治初年の神仏分離政策により天御中主命を祭神とする千葉神社となり、現在に至る。旧県社。かつての本尊であった妙見菩薩は千葉氏の遠祖である平良文によって尊崇され、「千学集抜粋」などによれば、承平元年(九三一)良文と甥の平将門が同族の国香と上野国群馬郡の染谷そめや川で合戦に及び、主従七騎という苦戦を強いられていたところ、童子すなわち近在の七星山息災そくさい(現群馬県群馬町)の本尊妙見大菩薩の出現で勝利に導かれたことにより、以後妙見菩薩を守り本尊として崇めたという。妙見菩薩は良文およびその後裔の移動の度に遷座され、千葉介常重の代、大治元年(一一二六)六月には上総国大椎おおじ(現緑区)から千葉池田いけだ亥鼻いのはなに館を移すのに伴い千葉寺の宮に祀られ、のち館内の主殿に奉安されたが、さらに館の堀内に仏殿を造営して妙見菩薩を安置、尊光院を別当寺にあてたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報