千手堂(読み)せんじゆどう

日本歴史地名大系 「千手堂」の解説

千手堂
せんじゆどう

[現在地名]高野町高野山

本覚ほんがく院の西に隣接する三間四面の堂で、本尊は丈六の千手観音立像。脇士に不動明王・毘沙門天を安置する。千手院とも称した。壇上伽藍の鬼門鎮護のため空海により草創と伝えるが(高野伽藍院跡考)、紀千手上人の建立(信堅院号帳)、千手上人の建立(文明五年諸院家帳)、北筑紫聖人の建立(霊瑞縁起)、本千手蓮意上人の中興(高野伽藍院跡考)などといわれる。たびたび罹災して堂内諸像は元禄一二年(一六九九)に入仏供養が行われた(続風土記)

千手堂は千手院せんじゆいん谷の総院主を中心に集団で管理された。文明五年(一四七三)正月六日の千手院々主渡日記(続宝簡集)によれば舎利講衆・行人講衆あるいは二十人講衆などがおり、これら講衆の世話方として預衆年預が設置されて千手堂を管理。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報