十間町(読み)じつけんまち

日本歴史地名大系 「十間町」の解説

十間町
じつけんまち

[現在地名]金沢市十間町

金沢城北西方の武家地(西町)の北側に位置し、東西路に沿う両側町で本町。東は博労ばくろう町の通りで限られ、西は西内総構堀を隔てて横堤よこつつみ町に続き、北は上近江かみおうみ町。町名はかつて家数が一〇軒であったために生じたとか(金沢古蹟志)、町幅が一〇間であったことにちなむなどと伝える(稿本金沢市史)。小松遺文(加越能文庫)に収める寛永一五年(一六三八)の請取書に当町太郎兵衛が署名している。元禄期(一六八八―一七〇四)には五代藩主前田綱紀が「本草綱目」の遺漏を補うために編纂を命じた「庶物類纂」などを著した儒医・本草学者稲生宣義若水が居住。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報