北方浦(読み)きたがたうら

日本歴史地名大系 「北方浦」の解説

北方浦
きたがたうら

[現在地名]芦原町北潟きたがた

北潟湖の西南側、湖岸に沿って細長く延びる大村。東は北潟湖を挟んで蓮浦はすがうら(現金津町)地名は応永二一年(一四一四)の滝谷寺門徒之次第(同寺文書)に記される二二ヵ寺中に「十一番北方善行院」「十二番北方安養寺」などとみえる。また「大乗院寺社雑事記」文明元年(一四六九)七月二二日条に載る泰承法印の遺領中に「坪江郷北方」が含まれている。なお室町中期以前の記録と思われる「坪江下郷三国湊年貢夫役等事」(大乗院文書)中の「坪江下郷北方年貢夫役等事」には、「浜坂」と「強方」(一説に当浦と浜坂浦の中間辺り)を含めて、本田二町八反小と新田三町二反六〇歩であったことが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報