勝俵蔵(2代)(読み)かつ・ひょうぞう

朝日日本歴史人物事典 「勝俵蔵(2代)」の解説

勝俵蔵(2代)

没年:天保1.12.17(1831.1.30)
生年天明1(1781)
江戸後期の歌舞伎狂言作者。通称直江重兵衛。4代目鶴屋南北の子。子役坂東鯛蔵から立役坂東鶴十郎となるが役者を廃業深川の遊女屋直江屋の主人におさまるかたわら,父南北の片腕となり,「東海道四谷怪談」の「戸板返し」など仕掛物を工夫し,筋書の名人といわれ,父の名で合巻(絵入り草双紙)の代作者を勤めた。芝居の番付や看板の下絵意匠に工夫を示し,竹馬の友7代目市川団十郎の「鎌輪ぬ」の染め模様を創り出し,江戸市中の流行もリードした。文政12(1829)年,父の一世一代(引退興行)のとき,父の前名勝俵蔵を襲名して立作者となるが1年たらずで他界。奇抜な趣向と複雑に絡みあった筋立てのなかに,不安定な文化文政期の男たちの哀歓うたい,それが河竹黙阿弥に継承されて開花することになる。<参考文献>渥美清太郎「南北以後黙阿弥以前」(『早稲田文学』1927年7月号)

(古井戸秀夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勝俵蔵(2代)」の解説

勝俵蔵(2代) かつ-ひょうぞう

1781-1831* 江戸時代後期の歌舞伎役者・作者。
安永10年3月生まれ。4代鶴屋南北(初代勝俵蔵)の子。3代坂東彦三郎の門にはいり,寛政11年江戸市村座で立役(たちやく)となる。文化12年役者をやめて深川に妓楼(ぎろう)をひらいたが,文政12年立作者として復帰。役者時代から父の創作に協力し,筋書,仕掛物に工夫をこらした。天保(てんぽう)元年12月17日死去。50歳。江戸出身。初名は坂東鶴十郎。俳名は東水。屋号は鶴屋。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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