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加藤貞泰(読み)かとう さだやす

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤貞泰」の解説

加藤貞泰 かとう-さだやす

1580-1623 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)8年生まれ。加藤光泰長男文禄(ぶんろく)3年父の遺領甲斐(かい)(山梨県)24万石をついだが,父が石田三成と不和だったため,若年を理由に美濃(みの)黒野4万石に転封関ケ原戦いでは東軍に参加。大坂の陣での功により元和(げんな)3年伊予(いよ)(愛媛県)大洲(おおず)藩主加藤家初代(6万石)となった。元和9年5月22日死去。44歳。初名は光長。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の加藤貞泰の言及

【加藤氏】より

…(1)伊勢国の中世武家。藤原利仁流の末裔景貞(清)が伊勢に下向,祖となったという。津市,鈴鹿市に景貞伝承の地がある。その子景員,孫景廉・光員は源頼朝挙兵に参加,その後,光員は頼朝側近として,また1185年(文治1)平家家人上総介忠清を志摩国で捕縛,没官領の注進など当国統治にも活躍,朝明郡豊田荘など数ヵ所の地頭職を得,左衛門尉,伊勢守に任官している。1206年(建永1)当時,彼は西面の武士として後鳥羽院と,道前(みちのさき)政所職(神宮領朝明郡,員弁郡,三重郡)として大神宮と関係するなど複雑な関係を持った人物であった。…

※「加藤貞泰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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