加瀬田城跡(読み)かせだじようあと

日本歴史地名大系 「加瀬田城跡」の解説

加瀬田城跡
かせだじようあと

[現在地名]輝北町平房

平房ひらぼう城ともいい、加世田城・加瀬田ヶ城と記され、近年は高雲加瀬田たかくもかせだ城ともいう。菱田ひしだ川に注ぐ平房川下流の右岸、標高二〇五メートルを最高地点とする西から東へ延びるシラス台地の先端を主とする。建武三年(一三三六)四月一四日、守護島津貞久は三月二九日の将軍御教書に従い、「肝付郡加瀬田城」で悪党が蜂起したので退治するよう大隅国の守護代に命じている(同年四月一四日「島津貞久書下」旧記雑録)。北朝方の島津氏が同三年三月に肝付方の肝付兼隆らが当地に構えた城を攻略しようとしており、これは薩摩・大隅での中世城郭の築城に関して記録された最初のもの。城攻めは貞久を大将に五月六日から六月一〇日まで続くが、大手の木戸口搦手・水手・堀口などから城に突入しようとし、野首へ押出し、逆向木・乱杭・箭倉(櫓)を焼払い、攻略した(建武三年六月日「権執印俊正軍忠状」旧記雑録など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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