加治木城跡(読み)かじきじようあと

日本歴史地名大系 「加治木城跡」の解説

加治木城跡
かじきじようあと

[現在地名]加治木町反土

網掛あみかけ川と日木山ひきやま川に挟まれた、標高一二七メートルを最高地点とする北東から南西に延びるシラス台地の先端に築かれた山城ほん城・城・竜門りゆうもんヶ城・大蔵おおくら城ともいう。建久九年(一一九八)加治木郡司大蔵氏は大隅国御家人で加治木郷を領していた(同年三月一二日「大隅国御家人注進状写」隼人桑幡文書、大隅国建久図田帳)。「三国名勝図会」は一一世紀末の大蔵親平を当城の最初の城主とする。大蔵氏の子孫加治木氏を名乗り、建治二年(一二七六)には木田・別府・吉原各氏を庶流とする惣領であったが(同年八月日「石築地役配符写」調所氏家譜)、当城が一三世紀には築城されていたとは考えられない。元弘三年(一三三三)加治木氏は守護島津勢として鎮西探題攻略に加わっている(同年八月日「白浜道季申状」旧記雑録)。延文元年(一三五六)一〇月二五日、南朝方三条泰季と結んだ島津氏久が当城を攻撃しており(同二年五月日「建部清増軍忠状」禰寝文書)、一四世紀中頃には当城が存在していた。その後、加治木氏は守護島津方であったが(永享七年「大覚寺義昭誅戮人交名」・延徳元年一一月二六日「犬追物手組」旧記雑録など)、明応四年(一四九五)加治木久平は島津方の平山ひらやま(現姶良町)を急襲した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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