劉予(読み)りゅうよ(英語表記)Liú Yù

改訂新版 世界大百科事典 「劉予」の意味・わかりやすい解説

劉予 (りゅうよ)
Liú Yù
生没年:1073-1146

中国,金の傀儡かいらい)政権斉国の皇帝在位1130-37年。字は彦游。阜城(河北省)の農家に生まれ,進士となり,1128年(建炎2)済南府長官の時に金軍の攻撃をうけ投降した。金は河南山東を制圧したが,直接統治する準備に欠け,中国人を以て中国を制する政策をとり,30年大名(河北省)に斉国を樹立し,劉予を皇帝とした。9月,国都を開封に移し,年号(阜昌)をたて,陝西を領地に加え,漢人士大夫の協力を得て官制,税制,刑法を整え,銅銭を鋳造し,交子を発行した。一方,金軍と連合してたびたび南宋を攻撃した。しかし金の期待したほどの成果がなかったことと,劉予を支持し監督してきた金の将軍,宗翰失脚と死が斉の命脈を絶った。37年11月,金軍は開封を占拠し,劉予を退位させ,行台尚書省を設置して華北・中原の直接統治を始めた。劉予は安陽河南省),燕京(北京)と移され,46年(金の皇統6)9月,臨黄府(内モンゴル自治区巴林左旗)で没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「劉予」の意味・わかりやすい解説

劉予
りゅうよ
Liu Yu; Liu Yü

[生]元豊1(1078)
[没]皇統3(1143)
中国,初期に華北にあった斉国の皇帝 (在位 1130~37) 。字は彦游 (げんゆう) 。景州阜城 (河北省) の人。初め南宋に仕え知済南府となったが,天会6 (28) 年金の撻懶 (だつらん) の攻撃を受けて金に降伏。しかし,占領した華北を経営する自信のなかった金は劉予に山東,河南の支配をゆだね,同8年大名 (だいめい) で劉予を大斉皇帝に冊立した。のち東平に移り,阜昌と改元,翌年陝西地方も与えられ,同 10年 汴京 (べんけい) に移り,国制を整えたが,斉国存続支持者宗翰の失脚とともにこの傀儡国が廃止されると,蜀王となり,のち曹王に封じられた。

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