前神寺(読み)まえがみじ

日本歴史地名大系 「前神寺」の解説

前神寺
まえがみじ

[現在地名]西条市洲之内

予讃本線石鎚山いしづちやま駅の南東二キロの山麓にある真言宗石派の寺。せきふ金色院という。本尊阿弥陀如来。四国八十八ヵ所の六四番札所。元来当札所は、石鎚山中腹の常住山奥前神寺(標高一二九一メートル)であるが(周桑郡小松町の→成就参詣に不便のため、この寺が前札所の役割を果してきた。

江戸時代には、現在の石鎚神社(口之宮)の地にあり、東西約一六〇間、南北四〇〇間、氷見ひみ村の飛地として取り扱われていた御免地であった。石権現の別当寺として、石鎚山岳信仰上重要な役割をもっていた。寛文一〇年(一六七〇)西条藩主として入部した松平頼純は高三石の寺領を寄進した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「前神寺」の意味・わかりやすい解説

前神寺
まえがみじ

愛媛県西条(さいじょう)市洲之内(すのうち)にある真言(しんごん)宗石鈇(いしづち)派の寺。石鈇山金色(こんじき)院と号する。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。四国八十八か所第64番札所。開創は役小角(えんのおづぬ)と伝える。桓武(かんむ)天皇はじめ歴代天皇の信仰厚く、堂塔が建立された。また武将や西条藩主松平氏が外護(げご)した。江戸時代には現在の石鎚(いしづち)神社の地にあり、石鎚山修験道(しゅげんどう)の根本道場として重きをなした。明治初年の廃仏棄釈で一時廃寺となったが、現在地に再興された。

[祖父江章子]

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デジタル大辞泉プラス 「前神寺」の解説

前神(まえがみ)寺

愛媛県西条市にある寺院。石鎚山(標高1982m)の麓に位置する。真言宗石づち派総本山(石づちの「づち」の漢字表記は金へんに“夫”)。院号は金色院。本尊は阿弥陀如来。役行者による開創と伝わる。四国八十八ヶ所霊場第64番札所。

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世界大百科事典(旧版)内の前神寺の言及

【石鎚山】より

…【相馬 正胤】
[信仰]
 石鎚山は修行者の山として古くから知られてきた。石鎚山信仰は各種の性格を内包しているが,大きな特色としては(1)《日本霊異記》《文徳実録》にでてくる寂仙(灼然),上仙をはじめ,石仙,常仙,峰仙などの修行僧が修行した山として知られていたこと,(2)蔵王権現,熊野権現,三十六王子がまつられ,役行者や大峰修行をした芳元がこの山を開いたという伝承があるように,熊野および吉野大峰山信仰の影響が強いこと,(3)近世期,石鉄山別当前神寺の指導によって各地に先達を中心に登拝を目的とする石鎚講が結成され,習俗として定着していること,また第2次大戦後には石鎚神社指導の石鎚本教や前神寺指導の真言宗石鎚派をはじめ多くの教団が形成されたことなどをあげることができよう。石鎚講は江戸中期以降増加し,今日では四国,九州,中国地方に分布している。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」