別保村(読み)べつぽむら

日本歴史地名大系 「別保村」の解説

別保村
べつぽむら

[現在地名]大津市別保一―三丁目・膳所上別保町ぜぜかみべつぽちよう杉浦町すぎうらちよう御殿浜ごてんはま園山そのやま一―二丁目・美崎町みさきちよう富士見台ふじみだい晴嵐せいらん一―二丁目・若葉台わかばだい

なかしよう村の南、琵琶湖西岸、瀬田せた川河口部に立地する。地名は中世の粟津あわづ別保の遺称とみられる。膳所城下を形成する五村の最南端に位置。村内を通る東海道は一三町一四間余、城下町の入口には勢多せた口総門(南総門とも)がある。江戸期を通じて膳所藩領。寛永石高帳に村名がみえ、高一千四八一石余、小物成一三九石余。慶安高辻帳では田五三七石余・畑五五石余、永荒一三九石余。文政石高帳では別保村一千二四七石余と宮丁村二七五石余に分けて記載される。この宮丁村は町方の宮町を示すと考えられる。天保郷帳では一千五四三石余、旧高旧領取調帳で一千二一一石余。

別保村
べつぽむら

[現在地名]富岡市別保

南部を高田たかた川が東流、東から南に富岡村、西は黒川くろかわ村、北は黒岩くろいわ村と接する。近世はおおむね七日市藩領。寛文郷帳の高七六石、うち田方五六石余。天明三年(一七八三)写の領内村高等覚(保阪文書)によると田三町二反四畝余・畑五町二反余。嘉永五年(一八五二)の中山道松井田宿明細帳(安中市教育委員会蔵)によると同宿加助郷七六石を勤める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報