初倉庄(読み)はづくらのしよう

日本歴史地名大系 「初倉庄」の解説

初倉庄
はづくらのしよう

現在の大井川町、榛原はいばら吉田よしだ町および同郡榛原坂口さかぐち坂部さかべ辺りを庄域とした庄園。保延元年(一一三五)八月鳥羽天皇の皇后泰子(のちの高陽院)宝荘厳ほうしようごん(白河新阿弥陀堂、現京都市左京区)寄進して成立した(建暦元年七月日「八条院領目録写」東寺百合文書)。平治元年(一一五九)閏五月日の宝荘厳院領庄園注文(同文書)に遠江国初倉庄とあり、領家職は権中納言藤原朝隆で、年貢は六丈細布と四丈白布とある。久寿二年(一一五五)八月、鳥羽法皇より宝荘厳院領を譲与された美福門院得子(鳥羽皇后)は、当庄の年貢米のうちから一千一二〇石を割いて紀州高野山大伝法だいでんぽう院に寄進、護摩供米とし(承安五年六月四日「法印権大僧都某置文案」根来要書)、永暦元年(一一六〇)一一月八条院(鳥羽天皇第三皇女)にこれを譲った。治承三年(一一七九)三月の遠江国湯日郷四至注文案(東大寺図書館蔵宗性筆唯識論第五巻問答抄紙背文書)質侶しとろ湯日ゆい郷の南限としてみえる「八条院御庄」は当庄のことである。文治三年(一一八七)二月五日、八条院は大伝法院座主に当庄運上米一千一二〇石を鳥羽院御国忌および小塔供料として取計らうよう命じ(「丹後守某奉書案」石山寺蔵経巻紙背文書)、建久二年(一一九一)一〇月一五日にも当庄年貢米を座主の計らいとなすよう命じている(「八条院令旨案」同文書)

始蔵(初倉)庄など高野山領から高野山に運ばれる年貢米は、紀ノ川で国衙船所の書生梶取によって運上が妨害されたらしく、建仁三年(一二〇三)一〇月二〇日紀伊国司藤原基保は留守所に対してこれを止めるよう命じている(「紀伊国司庁宣」高野山文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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