六合(郷)新三郎(読み)ろくごうしんざぶろう

改訂新版 世界大百科事典 「六合(郷)新三郎」の意味・わかりやすい解説

六合(郷)新三郎 (ろくごうしんざぶろう)

長唄囃子方。現在まで8世を数える。初世および6世は〈六合〉と記し,その他は〈六郷〉と記す。初世,4世,6世が著名。(1)初世 前名宇野長七,長斎と号する。生没年不詳。1713-66年(正徳3-明和3)までの芝居番付にその名を散見する。小鼓の名手で,作調(囃子の作曲)にも巧みであった。狐の変化(へんげ)などに使われる来序(らいじよ),あるいは深山海浜の場面に打たれる〈谺(こだま)〉の手法は彼の作といわれる。また,《京鹿子娘道成寺》の〈まり歌〉〈山づくし〉の小鼓も彼の作調といわれる。劇場隠退後に六合新三郎と改めたらしい。(2)2世(1742-1834・寛保2-天保5) 初世の門弟と思われる。姓を〈六郷〉と改め,1770年(明和7)11月の森田座からその名が見える。97年(寛政9)中村座の座元,中村勘三郎家から猿若三左衛門(山左衛門か)の名を贈られ,中村座の頭取となる。(3)3世 2世の門弟と思われる。生没年不詳。2世が猿若三左衛門と改めた1797年(寛政9)に3世を襲名。1814年(文化11)太田市左衛門と改め,21年(文政4)まで劇場に出勤した。(4)4世(?-1850(嘉永3)) 2世の実子といわれる。幼名六郷楳太郎(うめたろう),前名新右衛門。1814年(文化11)に4世を襲名。44年(弘化1)ころまで劇場に出勤。《勧進帳》の作調者である。(5)5世(1815-87・文化12-明治20) 4世の長男。前名常三郎。1845年(弘化2)から劇場に出勤。50年(嘉永3)5世を襲名。明治初期に高崎に移住する。(6)6世(1857-1927・安政4-昭和2) 5世の養子。幼名吉弥。前名新吉郎。生年は1859年(安政6)ともいう。87年6世を襲名し,姓を〈六合〉と改める。号を如調(じよちよう)という。演奏家であるとともに邦楽の故実家,研究家としても著名。とくに東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)邦楽調査掛の嘱託員として,《近世邦楽年表》の編纂に貢献した。(7)7世 6世の門弟で前名5世新右衛門。〈六郷〉姓に戻る。生没年不詳。とくに北九州方面で弟子養成に力を尽くした。(8)8世(1910-69・明治43-昭和44) 7世の実子,前名6世新右衛門。第2次世界大戦後芝居を退き,演奏会出演のかたわら,父の地盤をうけついで,北九州方面で弟子の養成にあたった。
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世界大百科事典(旧版)内の六合(郷)新三郎の言及

【宇野長七】より

…江戸中期の歌舞伎囃子方。小鼓の名手。生没年不詳。長斉と号する。1713‐66年(正徳3‐明和3),主に江戸市村座に出演。〈来序(らいじよ)〉〈谺(こだま)〉などという手を作る。隠退後,六郷新三郎を名のる。囃子方六合家の流祖。六郷新三郎【植田 隆之助】…

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