八那池村(読み)やないけむら

日本歴史地名大系 「八那池村」の解説

八那池村
やないけむら

[現在地名]小海町大字豊里とよさと

松原湖盆(一一三〇メートル)より北東へ一段下がった、小さな段丘(一〇三〇メートル)に位置する。標高一〇〇〇メートルの段丘下には、千曲川に沿って南北に佐久甲州往還が通じている。道は現在の国道一四一号より一段低い、千曲川に近い第一段丘上を北上して、字沓打場くつうちばで千曲川の川床に下って下の深山したのみやを過ぎて海尻うみじりに達した。北方鎰掛かぎかけ村との間には佐久甲州往還に沿って幅約一五〇メートルの狭長な福山川原の平坦地が約一・五キロにわたって続く。集落のある段丘から西は山地で、遠く北八ヶ岳中山の頂上(二四九六メートル)まで続く。東は千曲川によって小海村と、西は北八ヶ岳山嶺によって諏訪郡と境し、南は海尻村(現南牧村)、北は鎰掛村に接している。

天正一四年(一五八六)信州佐久郡之内貫之御帳には「拾壱貫八池松原」とある。元和八年(一六二二)徳川忠長領、佐久郡高書上帳(柳沢文書)には、「八野池村」と「松原村」を並記して一九石三斗とある。寛永六年(一六二九)徳川忠長領、佐久郡領内村々検地総高寄帳では高四二石五斗二升三合となっている。初めは村名を「やのいけ」と発音したものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報