海尻村(読み)うみじりむら

日本歴史地名大系 「海尻村」の解説

海尻村
うみじりむら

[現在地名]南牧村海尻

東は南相木みなみあいき(現南相木村)、西は八ヶ岳硫黄いおう岳、南は海口うみのくち村、北は稲子いなご(現小海町)に接する。

天文一七年(一五四八)の武田晴信宛行状(井出文書)

<資料は省略されています>

としてあらわれる。また天正二年(一五七三)の大井文書に、伴野ともの一二郷の脇郷として、「海尻 海之口 平沢 広瀬 大日向 伏野」とみえる。山城海尻うみじり城が築かれた頃からの古村とみられる。

天文九年信玄の伝馬掟(津金元衛氏蔵)によると伝馬宿の役目を果してきたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報