鎰掛村(読み)かぎかけむら

日本歴史地名大系 「鎰掛村」の解説

鎰掛村
かぎかけむら

[現在地名]小海町大字豊里とよさと

東側は千曲川が深い谷を刻んで南流し、西は北八ヶ岳山麓台地の裾が急傾斜をなして迫っている。狭い千曲川段丘上(九四〇メートル)に位置する村で、植生上は南佐久地方における真竹と柿の南限にあたる。佐久甲州往還は千曲川に沿って、現国道よりも東側の川べり近くを通って馬流まながし村に達し、南は八那池やないけ村との間に約一・五キロにわたる福山河原の平坦地があり、千曲川の東岸は小海村芦谷河原である。

天正一四年(一五八六)信州佐久郡之内貫之御帳に「五貫 かきかけ」、元和三年(一六一七)仙石忠政領で御郡中永楽高辻(大井篤義氏蔵)には八石七斗八升とある。元和五年仙石忠政は、かきかけ与左衛門にあてて、かぎかけが近年退転してしまったので、三年間無年貢とし、諸役も免除するから、他郡からなりと百姓をよびもどして村づくりせよと命令している(「定」篠原隼人氏蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報