八町河原村(読み)はつちようがわらむら

日本歴史地名大系 「八町河原村」の解説

八町河原村
はつちようがわらむら

[現在地名]上里町八町河原

八丁河原とも記す。利根川からす川の合流点南岸に位置し、烏川の対岸は上野国那波なは沼之上ぬまのうえ(現群馬県玉村町)、東は児玉郡新井あらい(現本庄市)、西は忍保おしぼ村。八町河岸(八丁河岸)および上野国に至る三国みくに街道の渡船場(八町河原渡)があった。北条氏邦領について記録した鉢形北条家臣分限録(埼玉叢書)に「本国山城、千貫、随臣、加美八町河原住、桑原玄蕃」とみえる。地内にある稲荷神社の寛永四年(一六二七)銘をもつ石祠に「上州那波郡八町河原之持」とあり、当時は烏川・利根川の流路変更によって上野国に所属していたらしい。近世初期には本庄城主小笠原信嶺の知行地とされる(享保一二年「庄田三郎兵衛覚書」庄田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報