上里町(読み)かみさとまち

日本歴史地名大系 「上里町」の解説

上里町
かみさとまち

面積:二九・二一平方キロ

埼玉県および児玉郡の最北端、神流かんな川扇状地の先端部に位置し、西境を北東流する神流川は東流するからす川に合流する。標高五二メートルから八五メートルのなだらかな平坦地で、東は本庄市、北は烏川を挟んで群馬県佐波さわ玉村たまむら町、西は神流川を挟んで同県多野たのしん町・藤岡市、南は神川かみかわ町・児玉町に接する。町域の北部を旧中山道の県道勝場かつぱ―本庄線、国道一七号、JR高崎線が東西に横断し、高崎線に神保原じんぼはら駅が設置されている。中央部を関越自動車道上越新幹線が横断し、南西端を国道二五四号がかすめる。

考古遺跡のうち、集落跡は縄文時代一三、古墳時代二五、奈良・平安時代四六ヵ所を数え、古墳時代後期には神流川近くに古墳や集落が営まれ、奈良・平安時代に入るとさらに多くの集落が自然堤防上や微高地に営まれた。古墳は本庄市にまたがるあさひ小島おじま古墳群、および東堤ひがしつつみ五明ごみよう帯刀たてわき大御堂おおみどうなどの各古墳群が存在し九〇基を数える(以上の遺跡数は平成四年三月現在)。六世紀の寺浦てらうら一号墳からは四ッ竹を鳴らす男の埴輪、八世紀から一〇世紀の集落跡からは銅鋺・緑釉土器・灰釉土器・円面硯、錫杖の鋳型など多数が出土。古代から中世にかけての当町域は賀美かみ郡に所属したとみられる。奈良正倉院宝物の揩布屏風袋にみられる天平勝宝五年(七五三)一一月の墨書銘に「武蔵国加美郡武川郷戸主大伴直牛麻呂」とあり、この武川たけかわ郷を当町域に比定する説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上里町」の意味・わかりやすい解説

上里〔町〕
かみさと

埼玉県北西端,神流 (かんな) 川扇状地末端部の町。 1954年神保原 (じんぼはら) ,七本木 (しちほんぎ) ,長幡 (ながはた) ,賀美 (かみ) の4村が合体して上里村となり,71年町制。町域の多くは洪積台地で,6~7世紀頃の古墳群がある。主産業は野菜およびナシなどの果樹栽培。国道 17号線,254号線,南部を関越自動車道などが通るため交通の便がよく,近年工場が進出している。 JR高崎線が通る。面積 29.18km2。人口 3万343(2020)。

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