入田村(読み)にゆうたむら

日本歴史地名大系 「入田村」の解説

入田村
にゆうたむら

[現在地名]徳島市入田町

鮎喰あくい川中流域の山間部に位置し、東は矢野やの村・一宮いちのみや村、西は広野ひろの(現神山町)、南は鬼籠野おろの(現同上)、北は石井いしい村・城之内じようのうち(現石井町)。南北を四国山地に囲まれ、中央部を鮎喰川が東流する。「和名抄」に載る名西郡埴土はに郷の遺称地とする説がある。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に「にうた」とみえる。同二年の分限帳によると倉地弥右衛門が四五四石、吉浦理右衛門が一四六石余を知行正保国絵図には入田村とみえ、高五九八石余。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳では田方三五八石余・畠方二四〇石余、旱損芝山注記がある。天和二年(一六八二)の蔵入高村付帳では蔵入高六八石余。「阿波志」によると土田は上等水田一〇分の六、下等陸田一〇分の四。文化一〇年(一八一三)の高都帳では高九二三石余。

入田村
にゆうたむら

[現在地名]美作町入田・大井おおいおか

梶並かじなみ川を隔てて倉敷くらしき村の西にある。三星みつぼし山を挟んで北に明見みようけん村、塩垂しおたれ山を越えると湯郷ゆのごう村がある。近世には大橋たもとに津山城下久米くめ誕生たんじよう(現久米南町)への道分石標が建てられていた。永禄八年(一五六五)と推定される五月二五日の奥田与六宛浦上宗景感状(美作古簡集)によれば「入田表」での合戦が知られる。正保郷帳に村名がみえ、田一一三石・畑八二石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高六九石余・開高一石余、村位は下。津山藩森氏断絶後は幕府領、元禄一四年甲斐甲府藩主徳川綱豊領、享保一五年(一七三〇)大坂城代久世領、のち幕府領を経て延享四年(一七四七)但馬出石藩領、天保七年(一八三六)津山藩領(「美作略史」など)。「東作誌」によれば毛付高一九六石余、戸数一五、男三五・女三一。溜池五・井堰一。神社は塩垂山麓の八大竜王社、三星山頂の三星大明神、同山麓の八幡社が記される。天保一三年の取調帳(町史編纂報告書)では長百姓五人。

入田村
いりたむら

[現在地名]三原町八木養宜入田やぎようぎいりた

中八木なかやぎ村の北西にある。東部から北部にかけては緩やかな山地で、中央部を養宜川が西流し、北西流してきた成相なりあい川と合流する。福良ふくら街道が東方の上八木村より中八木村を経て当村を通る。古くは北小野佐きたおのさ村と称したという(味地草)。正保国絵図では入田村とあり、高一四五石余。天保郷帳では高二四七石余。反別戸数取調書によると反別三〇町一反余、高三四一石余、うち蔵入高一〇九石余・給知高二二一石余。給人は神田帯刀ら九人。家数六七・人数二六五。水利として東部山麓におお池・とくヶ池・太郎三たろうざ池・伯母おばヶ池などの溜池のほか、川井手がある(味地草)

入田村
にゆうたむら

[現在地名]中村市入田

具同ぐどう村の北、四万十しまんと川右岸にあり、「土佐州郡志」は「東・西限渡川、南限具同村、西限佐田村、東西三十町南北十七町、戸凡一百余、其土多砂」と記す。東・西とあるのは東・北の誤り。また「石土村 古此処多居民、名川平千軒、今為田、橋之内 二村惣曰入田村」とある。石土いしつち村は四万十川自然堤防上にあった村で、同所には入田遺跡がある。

村名は天正一六年(一五八八)六月二七日付の長宗我部元親所領宛行状(蠧簡集拾遺)にみえる。

入田村
にゆうたむら

[現在地名]和気町衣笠きぬがさ

金剛こんごう川と並行して西流する初瀬はつせ川の南岸にある。北はもり村、東は稲坪いなつぼ村。古代の和気郡新田にうた(和名抄)の遺称地とされる。天正一七年(一五八九)六月二七日の安養寺正税帳および翌一八年八月の安養寺坪付(以上安養寺文書)などに、「入田」「入田山ノはな」「入田竹久」などの地名がしばしば登場する。慶長一八年(一六一三)の和気郡御勘定帳に本庄内として村名がみえ、物成八七石余、夫米五石余。寛永備前国絵図では高一七七石余。

入田村
にゆうたむら

[現在地名]笠岡市入田

篠坂しのさか村の東、台地上にあり、北は上稲木かみいなぎ(現井原市)。元和五年(一六一九)備後福山藩領となり、元禄一二年(一六九九)からは幕府領、文政一〇年(一八二七)以降は三卿の一橋領となったと考えられる。寛永備中国絵図では高二五〇石余。正保郷帳には枝村として青草あぐさ村が記載され、上稲木村境に地名を残す。元禄一三年の検地帳(笠岡市史編さん室蔵)では田高一九八石余・畑高一一四石余、屋敷数四六(高五石余)、番所屋敷一、郷倉一。反別は田方一六町二反余・畑方一五町七反余で、田は中田が、畑は中畑が最も多い。延宝三年(一六七五)の綿の作付率は田方では〇・〇一パーセントと僅少であるが、畑方では三〇・三パーセントとなっている(岡山県史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報