笠岡市(読み)カサオカシ

デジタル大辞泉 「笠岡市」の意味・読み・例文・類語

かさおか‐し〔かさをか‐〕【笠岡市】

笠岡

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日本歴史地名大系 「笠岡市」の解説

笠岡市
かさおかし

面積:一二三・三二平方キロ

県の南西端に位置し、南部は海に面する。南東沿岸に御嶽みたけ(三二〇・一メートル)が屹立、東部は青佐おおさ(二四九・四メートル)虚空蔵こくぞう(二六二・三メートル)妙見みようけん(二八一・八メートル)阿部あべ(三六六・四メートル)と連なり、浅口あさくち寄島よりしま町・里庄さとしよう町・鴨方かもがた町との境をなし、北部は阿部山の山塊、高梁たかはし川支流の小田おだ川が小田郡矢掛やかげ町との境をなす。西は南北に延びる標高一五〇―二〇〇メートルの小丘陵により井原市・広島県深安ふかやす神辺かんなべ町・同県福山ふくやま市と接する。昭和六四年(一九八九)竣工予定の国営笠岡湾干拓事業により神島こうのしまが陸繋化され、南方海上の島嶼部(笠岡諸島)たか島・白石しらいし島・北木きたぎ島・真鍋まなべ島・大飛おおひ島・小飛こび島・島などとなり、香川県丸亀まるがめ市、同県仲多度なかたど多度津たどつ町・三豊みとよ詫間たくま町に海上で接する。中央部に隅田すみだ川、東部に今立いまだて川、西部に吉田よしだ川が南流。旧市街は隅田川の堆積による扇状地に立地、昭和三三年完工した笠岡湾(富岡湾)干拓によって造成された約一〇〇ヘクタールの土地に新市街地が形成される。北部の小田川の支流尾坂おさか川流域は沖積低地を形成し、平野部をなす。南部沿岸地域は江戸初期以後、地先海面の干拓によって拡大されたり、新たに造成された地である。南部をほぼ並行して横断する国道二号・JR山陽本線が東西交通の主要をなし、両線の北側、市域中央部では山陽自動車道の工事が進められている。また沿岸東部に県道倉敷―長浜線が通る。旧笠岡往来にあたる県道笠岡―井原線が沿岸部と山間部を南北につなぎ、島嶼部は笠岡港と連絡船で結ばれる。

地名は記紀などに散見する笠臣と関連するものとする説もあるが明証はなく、市名は古くから湊として栄え、近世には代官所も置かれて西備地方の中核であった笠岡村を継承する。

〔原始・古代〕

高島や同島と神島の間に浮ぶ小島の明地みようじ島など島嶼部を中心に旧石器時代の遺跡がみられる。縄文・弥生期の遺跡は陸地部の津雲つくも貝塚をはじめ、島嶼部にも広く分布する。古墳は走出はしりで山口やまぐちの間に位置する長福寺裏山ちようふくじうらやま古墳群をはじめ、尾坂川流域や園井そのい広浜ひろはまの今立川流域に多く分布し、島嶼部にもみられる。高島の王泊おうどまり遺跡は古墳時代から奈良時代に至る製塩集落遺跡として注目され、大飛島遺跡は奈良―鎌倉期にわたる祭祀遺跡で、三彩器や銅鏡などの出土品は古代海上交通を知るうえで貴重。

大和朝廷は吉備分封のとき、御友別の弟鴨別に波区芸はくき県を与えている。鴨別は笠臣の始祖で同氏の本貫地を笠岡とし、波区芸県を市域に所在比定する説もあるが、なお検討の余地を残す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「笠岡市」の意味・わかりやすい解説

笠岡〔市〕
かさおか

岡山県南西端,瀬戸内海に面する市。瀬戸内海の笠岡諸島を含む。 1952年笠岡町と金浦 (かなうら) 町が合体して市制。 53年城見 (しろみ) ,陶山 (すやま) ,大井,吉田,新山 (にいやま) ,神島内 (こうのしまうち) の6村,神島外 (こうのしまそと) ,北木島の2町,真鍋島,白石島の2村と大島村の一部,さらに 60年北川村を編入して成立。中心市街地の笠岡は,元禄1 (1688) 年真言宗大仙院の門前町として発展。のちに倉敷代官の出張陣屋,備中三港の一つとして繁栄した。 1965年備後工業整備特別地域に指定され,広島県福山市にある製鉄所の圧延工場が,市の埋立て地に進出。周辺の丘陵はよく耕地化され,米のほかモモ,イチジク,タバコを産する。神島では過リン酸石灰,北木島では花崗岩材を産出し,真鍋島では花卉の栽培が行われる。西大島の津雲 (つくも) 貝塚は史跡に指定されているほか,名勝の応神山,白石島に伝わる重要無形民俗文化財の白石踊,さらには重要文化財の遍照寺多宝塔など名所旧跡が豊富。真鍋島と金浦湾には化石生物カブトガニが生息し,天然記念物に指定。北木島を除く笠岡諸島と市南部の一部は瀬戸内海国立公園に属する。山陽新幹線,JR山陽本線,国道2号線が通じるほか山陽自動車道が横断,インターチェンジがある。面積 136.24km2。人口 4万6088(2020)。

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