先史美術(読み)せんしびじゅつ(英語表記)prehistoric art

改訂新版 世界大百科事典 「先史美術」の意味・わかりやすい解説

先史美術 (せんしびじゅつ)
prehistoric art

先史時代の美術をいう。普通は石器時代や青銅器時代,ときには鉄器時代を含めた時代が先史時代と考えられているが,文献史料のあらわれる時代は,地域によって著しく異なり,またアフリカなどに現に無文字社会があるため,先史時代の美術の様相はきわめて多様である。本項では,ヨーロッパ,アフリカ,インド,オセアニアの先史美術について概観するにとどめるが,それらに関連する項目も,あわせて参照されたい。

ヨーロッパの後期旧石器時代美術は前3万~前1万年のオーリニャック,ソリュートレ,マドレーヌの各期につくられた。これらは,その内容から次の3種に大別することができる。(1)洞窟美術と呼ばれる,洞窟内部の岩壁に描かれ刻まれた彩画や刻画(岩面画)。(2)岩陰美術と呼ばれる,日光のさしこむ岩陰の岩壁に彫られた浮彫。(3)独立した石や骨・角や土でつくられた丸彫や,骨や石や各種の工作品などに施された彩画,刻画,浮彫。持運びができることから動産美術と称される。これら3種の美術の遺跡は西ヨーロッパから中欧・東欧を経て,シベリアのバイカル湖付近に至る広大な地域に分布するが,とくに遺跡が集中しているのが南フランスと北スペインのカンタブリア地方であるため,ヨーロッパの後期旧石器時代美術はフランコ・カンタブリア美術とも呼ばれる。

 これらの制作目的については,それらが発見されて以来(動産美術は1833年,洞窟美術は1879年),長い間論争が行われてきた。ある学者は,それらは単に模倣衝動に基づくものであるとし,ある人は,それらは狩猟の余暇の手すさびであって,遊戯衝動から生まれたと考え,またある人は装飾的な動機からつくられたと考えた。これらの説に対し,旧石器時代美術は,当時の人々の生活が密接に依存していた動物に働きかけるための,呪術的動機ないしトーテミズムからつくられたという意見がある。また一部の学者は,唯一神信仰とか,男女両性神話に基づくと考える。

 このように種々の意見があるが,次のような諸事実から呪術説をとる学者が多い。

 洞窟壁画がすべて洞窟の奥所にあり,住居として用いられた入口付近にはないこと。全然住まわれたことのない洞窟にも壁画が描かれていること。洞窟の奥所の特定の場所に種々の動物が重ねがきされて,装飾的効果が無視されていること。山川草木などの自然現象を描く試みがまったくなく,捕獲され食用とされた牛,馬,バイソン,ヤギ,シカなどが好んであらわされたこと。容易に捕獲しうる魚,鳥,貝の表現がきわめてまれなこと。身重の雌の表現が多く,また2匹以上の動物が組み合わされる場合は,ほとんど雌雄一対であること。矢や槍を身にうけた動物や,罠または陥穽をあらわした図形が見られること。洞窟壁画に人間が描き出される場合は半人間半動物の仮装した姿をとり,岩陰浮彫や丸彫彫刻の人物はすべて女性裸像であり,しかも乳部,腹部,臀部などが著しく誇張されること。あるいは単独にあらわされた女または男の生殖器の表現が見られること,などである。
フランコ・カンタブリア美術

洞窟彩画・刻画のほとんどは動物像で,まれに人物像や抽象図形がある。これらの動物像はきわめて具象的であるが,時代によって様式が異なる。オーリニャック期のものは輪郭線に重点をおく素描で,それは初期の一筆がきの硬い輪郭画から,漸次線に肥瘦が生じ,末期には2彩画の萌芽があらわれる。明白にソリュートレ期に属する壁画はなく,マドレーヌ期初期に彩画は再びデッサンから出発しなおす。やがて線に抑揚が出てきて,中期にはニオー洞窟壁画のように,動物の毛を線影で処理したり,擦筆画のような暈翳(うんえい)をもつ平塗りの彩画があらわれる。そして後期に2色以上の絵具を混ぜたり,塗りわけたりして,形象の立体感や現実感を求める多彩画があらわれる。ラスコーアルタミラ,フォン・ド・ゴームの洞窟壁画がこの時期のものである。なお,刻画の様式展開も上述の彩画のそれに準じるが,マドレーヌ期の刻画はとくにピレネー山中で盛んで,その頂点はマドレーヌ期中期である。それ以後は刻画は単独にあらわれることが少なくなり,彩画と併用されるようになった。彩画の顔料としては,酸化鉄から黄,赤,褐色が,酸化マンガンと木炭から黒が得られた。描画は指や刷毛や筆によって行われた。筆や刷毛は,草,毛髪,羽の束,かみ砕いた木の細枝が用いられた。また,絵具の粉を,中が空になった骨や葦などに詰め,それを湿った岩盤に吹きつける方法も好まれた。一方,線刻画は火打石製の石器によって刻まれた。粗雑で幅の広い刻線は穿孔器と尖頭器によって,浅く繊細な刻線は鋭い彫器によって刻まれた。このようにして描かれ刻まれた壁画は,数万年もの間に多少とも変化した。しかし大部分の洞窟は石灰岩窟であり,石灰分を含んだ水が岩盤の割れ目や気孔からにじみ出て壁画をおおい,長年月の間に凝固して層を形成し,その層に守られて,壁画はほぼ完全に保存された。
洞窟美術

岩陰美術(浮彫)はフランス南西部のドルドーニュ地方とシャラント地方に多い。オーリニャック期のものとしてはローセルの数点の女性裸像があり,これは乳房,腹,臀が著しく強調されて,出産の呪術に関連すると考えられる。ソリュートレ期はル・ロック・ド・セールの,圧倒的な量感を示す諸動物の浮彫があり,その大部分は身重の雌である。マドレーヌ期にはカプ・ブランCap Blancの馬のフリーズのほか,若干の岩陰に女性裸像などがあらわされる。これらとは別に,粘土浮彫がピレネー山中でつくられた。チュク・ドードゥベールTuc d'Audoubert洞窟最深部の雌雄のバイソンは交尾寸前の興奮をあらわしている。

動産美術には丸彫の女性裸像のほか,投槍器や指揮棒(呪術儀礼に用いられたと考えられる特殊な穴あき棒),銛(もり)などの工作品などがある。女性裸像は西はフランスから東はバイカル湖付近に至る広い地域で約60点見いだされている。いずれも乳部,腹部,臀部が著しく誇張されており,母神としてのビーナス(ウェヌス・ゲネトリクスVenus genetrix)のような性格のものであろうと考えられて,〈ビーナス像〉と呼ばれる。石,骨,角,牙に施された彩画,刻画,浮彫および種々の工作品の最盛期はマドレーヌ期中期であった。単に量が多いだけでなく,あらゆる技法が出そろい,またこの時期にだけ行われた版木様浮彫や輪郭裁断形式もあって,質的にもすぐれたものである。なお,特定の遺跡から,デッサンの練習に用いられたと思われる線刻石や彩色石が,大量に出土するが,このことは描画訓練がある程度組織的に行われたことを,うかがわせる。

スカンジナビア半島,フィンランド,北ロシアに多くの岩面画がある。そのほとんどは刻画で,彩画は少ないが,大別して自然主義的な様式のものと,抽象化の著しいものとがある。前者はスカンジナビアの北部に多く,後者は南部に多い。北部の岩面画は前6000年ころから前1500年ころにかけて刻まれた,石器時代の狩猟・漁労民の美術である。そして南部のひじょうに様式化された岩面画は,青銅器時代の農耕・牧畜民の制作にかかるもので,前2千年紀から紀元前後までつくられた。前者を極北美術,後者をスカンジナビア図式美術と呼ぶ。

極北美術の主題はオオジカ,トナカイ,シカ,熊,鯨,アザラシ,魚などで,人物はまれである。技法には一線彫と敲打法などによる刻画とがあるが,様式は古いものほど写実的で,サイズも大きい。いわゆるX線描法が一般であるが,その中に,1本の線が動物の口から発して胸または腹に向かい,最後は楕円形で終わる珍しい表現がある。これはおそらく生命線をあらわしたのであろう。また動物の交尾場面や,矢を身に受けた動物,さらに陰門があらわされたりする。したがって,これらの岩面画の制作目的は,動物の繁殖または殺害を願う呪術的心性に基づくと思われる。

スカンジナビア南部の抽象的な岩面画の制作目的については種々の説があるが,太陽崇拝およびそれに基づく季節に関する神話に関係するとの見方が強い。すなわち,頻繁にあらわれる舟や馬車は同時に太陽を意味し,それらが人物や動物とさまざまに関連して,冬の悪霊を追い払い,夏の太陽の力と豊饒を象徴した,とされる。

スペイン東部のレバント地方に多くの岩面画がある。赤または黒の彩画で,約1万年前から前3000年ころまで描き続けられた,中石器時代の狩猟採集民の美術である。主題はシカ,牛,馬,イノシシ,ヤギ,クモ,ハチ,ハエなどの獣や昆虫のほか,人物が多くあらわされる。形象のサイズは概して小さく,動物像で75cm,人物像で30cmを超えるものは少ない。動物像は写実的であるが,人物像は著しく様式化されている。たとえば,身体が極端に長く伸ばされた帯状人物,脚だけがひじょうに太い厚脚人物,針金のような細い線に還元された線状人物など。このような人物のほとんどは,単独像としてでなく,狩猟,戦闘,舞踊,蜂蜜の採集などのさまざまな場面にあらわれる。ただし,レバント地方は海に近いにもかかわらず,舟と漁労に関する表現はない。それはおそらく海岸地帯は別の種族によって領有されていたからであろう。身長を異にする2種族間の戦闘図は,この海岸地帯の人々との戦いをあらわしているのかもしれない。

レバント地方のみならず,イベリア半島全体に図式的な岩面画が広く分布している。初期には彩画が多く,時代が下ると刻画が多くなる。この美術は前3000年ころに起こり,前2千年紀前半の青銅器時代まで(スペイン北西部やポルトガル北部では鉄器時代まで)持続したと考えられ,イベリア図式美術と称される。岩面画の形象の多くは著しく抽象化されているが,人物,動物,住居,車,太陽と認められるものもある。人物像は直線,円,十字,三角などに還元されて,著しく単純化される。このような様式化は動物像でも見られる。角が複雑に誇張されたシカがアルマデンで多く見いだされ,脚は単純な直線に還元されている。刻画は彩画と共存するが,後期段階では独立する。刻画遺跡の多いのはタラゴナ,セゴビア,グアダラハラの各地方である。刻画は最末期には石板に施された。

地中海の島々から大西洋の沿岸地域,グレート・ブリテン島にかけて,巨大な石で構築された建造物が多く残っている。詳細は〈巨石記念物〉の項目にゆずり,ここでは美術的に重要なもののみをとりあげる。

 巨石文化を残した人々は絵画や彫刻をあまりつくらなかったが,特定の地方では,土製または石製の偶像がつくられたり,メンヒルに人物の姿を浮彫したり,巨石や土器に特殊な装飾が施された。メンヒルの人像はフランスのセーヌ,オアーズ,マルヌ地方でつくられた。高さ1m前後の石板に,女または男が図式化された様式で刻まれたが,男性像に錐,弓錐,火を起こすための盃状くぼみがあらわされることから,これは火の神であると思われる。マルタ島の特殊な巨石づくりの神殿からは土製または石製の女性像(まれに男性像)が多く出土する。いずれもひじょうに肥満しており,地母神崇拝にまつわるものである。フランスのガブリニスGavrinis,Gavr'inis島などに残されている,同心の半円形の装飾文様は,それが墓室の入口や通路に刻まれることによって,浄化の機能を果たした。この図様は後世のケルト人にも愛好され,さらに中世のキリスト教会堂にまで伝承される。渦形モティーフも同じである。

サハラ,リビア,スーダンの各砂漠とその周辺に膨大な岩面彩画や刻画が分布している。最古のものは中石器時代にさかのぼり,アラブのサハラ流入まで描き刻み続けられた。時代の経過にともなって岩面画の主題や様式は変化し,また作者も黒人,フルベ族,トゥアレグ族などと変わる。詳細は〈サハラ砂漠〉の項目にゆずる。

 南アフリカのカラハリ砂漠に住む採集狩猟民族サンは,10万点以上の岩面彩画・刻画を南部アフリカの各地に残している。それらは前5千年紀から19世紀に至るまで描き続けられた。

中部インドのマディヤ・プラデーシュ州とウッタル・プラデーシュ州を中心にした山岳地帯に膨大な岩面画が分布している。それらは1899年にカーライルA.CalleyleとコックバーンJ.Cockburnがウッタル・プラデーシュ州のミルザープルMirzapurで発見したのが最初で,1970年代以後ボーパール周辺の山地で続々と発見され,世界最大の先史岩面画群を形成している。これらの岩面画の主題,制作時期,制作者などについては,〈インド美術〉の項目にゆずる。

アボリジニーの岩面彩画・刻画は,かなり古くから制作された。重要な岩面画は宗教的主題をあらわしたもので,それには動物を線的にあらわした小さな絵から,降雨の神ウォンジナWondjinaの大きな絵に至るまで,種々の様式がある。詳細は〈アボリジニー〉の項目を見られたい。

 ポリネシア東端のイースター島の巨石人像は,一部でいわれるような南アメリカ起源のものではなく,アジアの巨石文化に由来する。いずれも凝灰岩製で,頰骨,鼻,眉が突出し,目にはもと白いサンゴ石と赤い凝灰岩でつくられた眼球が入れられていた。制作時期は10~16世紀ころと考えられている。
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