ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トゥアレグ族」の意味・わかりやすい解説
トゥアレグ族
トゥアレグぞく
Tuareg
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…砂漠はよく陸の海にたとえられるが,文化交流における役割でも,砂漠は海と共通点をもっている。ベルベルと総称されてきたサハラの原住民であるハム系の諸族(その中には乾燥化以後ラクダの遊牧民としてサハラ砂漠の主となったトゥアレグ族や,著しくアラブ化した,ムーアと総称される西部サハラの牧民,オアシスやアルジェリア,モロッコなどの山地の農耕民が含まれる)を媒介として,北アフリカと黒人アフリカは,古くから相互に交流してきた。にもかかわらず,上記のような文化要素が黒人アフリカにとり入れられなかった一方では,青銅やシンチュウのロストワックス法による加工,馬と馬具,ある種の衣服やかぶりもの,鉄砲(16世紀以降),イスラム(7世紀以降),そしておそらく日乾煉瓦や版築の技法などは,サハラ以南のアフリカにも受容され,ひろまった。…
…アルジェリア山地のカビール,モロッコの山地のシュレウ,アルジェリアのオアシスのムザブなどは,現在まで古い文化を守っている集団である。ベルベルの中には,コムギやナツメヤシを栽培する農耕民や,トゥアレグ族のようなラクダの遊牧民もいる。(2)アラブは,7世紀に新しい宗教イスラムをもってエジプトからモロッコまで侵入したものと,11世紀以後大挙して移住したベドウィンに分かれる。…
…洞窟は先史時代の遺跡やヒッタイト人のものと考えられる横穴式住居跡,ビザンティン時代の隠遁修道士により掘られた修道院や穴居跡の再利用をはかったもので,前面に石積みの家屋が付加されるケースが多い。
【アフリカ】
[トゥアレグ族のテント]
サハラ砂漠の南縁部はステップ地帯である。トゥアレグ族は砂漠の騎士として隊商を組織する一方,ステップ地帯で遊牧に従事してきた。…
…サハラ砂漠に住むトゥアレグ族の用いる文字で,〈ラクダの時代〉(前200年以降)の岩面彩画・刻画にあらわれる。先行する古代サハラ文字alfabet Saharien Ancienから派生した。…
…マリ国内のマンデ諸族Mandeには,バンバラ族(166万),ソニンケ族Soninke(サラコレ族Sarakole)(42万),マリンケ族(30万),カソンケ族Khassonkeなどの農耕民や,交易に従事するデュラDyula商人が含まれる。そのほか,大西洋側語群,ボルタ語群など言語系統の異なる部族のなかで有力なのは,中部のニジェール川が形成する内陸デルタ地域に居住するフルベ(フラニ,プール)族(55万),南部に住むセヌフォ族(43万),東部のニジェール川の大湾曲部に住むソンガイ族(30万),バンディアガラ山地に住むドゴン族(24万),北部の砂漠を生活の舞台とするトゥアレグ族や,その南のサヘル地帯に住むモール族Maureなどである。 バンバラ族は人口が最大で,しかも首都のバマコの住民でもあり,国内で最も大きな勢力をもっている。…
…そしてこの地へはアフリカ内陸部やアフリカの外側からさまざまの種族の人びとが流入,とくに7世紀中ごろ以降,イスラムとともに侵入したアラブは11世紀半ばにはベルベルと急速に同化した。リビア人の大半が今ではアラブ系住民であるが,西部のガダミスやガットにいるトゥアレグ族や,トリポリタニア海岸平野の定住農民の一部のベルベル語と独自の生活習慣を守る人びとは純粋のベルベルである。またフェッザーンやキレナイカ南部には,かつてオアシス農業の奴隷として中央サハラから連れてこられ定着したトゥーブ人などの黒人住民もいる。…
※「トゥアレグ族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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線状に延びる降水帯。積乱雲が次々と発生し、強雨をもたらす。規模は、幅20~50キロメートル、長さ50~300キロメートルに及ぶ。台風に伴って発達した積乱雲が螺旋らせん状に分布する、アウターバンドが線状...