伴田庄(吐田庄)(読み)はんだのしよう

日本歴史地名大系 「伴田庄(吐田庄)」の解説

伴田庄(吐田庄)
はんだのしよう

平治元年(一一五九)の大和国目代下知状案(東大寺文書)の葛上郡「春日御庄」のうちに「山川原庄 小太郎名 伴田庄」とあり、伴田庄は春日社領である。その後、元暦元年(一一八四)の春日若宮神主中臣祐重解(春日神社文書)に、葛上郡伴田庄に関して

<資料は省略されています>

とある。この若宮神主の訴えによると、伴田庄は祐重祖先藤原氏女がその私領を寄進したことに基づく荘園であって、名主職はこれを保留子孫に伝えていることがうかがえる。御節供の九月九日の備進については、「春日社記録」中臣祐定記の寛喜四年(一二三二)九月九日条にも「伴田庄御節供」とみられ、以後も引続いて行われている。

次に、「春日社記録」中臣祐賢記の建治四年(一二七八)一一月一一日条に「御幸雑事段別廿五文、銭三百卅八文、一町三段半分、フシミ領分、同(本)庄一貫二百、五十五町分」とある。伴田庄はフシミ(現大字伏見か)領分と本庄分に分れている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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