仮屋浦(読み)かりやうら

日本歴史地名大系 「仮屋浦」の解説

仮屋浦
かりやうら

[現在地名]観音寺市観音寺町 仮屋町・蛭子町えびすちよう元町もとまち加茂田町かもだちよう

財田さいた川といちたに川の間に形成された中洲の最西端に位置し、海に面する。仮屋村ともいう。「弘化録」に元暦二年(一一八五)三月二四日早朝「源義経殿七百余ノ兵船ニテ敵ニ向テ進発ス、此ノ時軍卒ノ仮家ヲ建シ所ヲ今ニ地名ヲ仮リ屋浦と呼フ」とある。享徳元年(一四五二)閏八月一五日の琴弾八幡宮放生会祭式配役記(観音寺文書)に「仮屋ヨリ 相撲十七人」「大念仏 仮屋船組両頭ヨリ」と記される。江戸初期の高は二一〇石余(円亀領郷村高辻帳)。寛永一八年(一六四一)の山崎領小物成帳では御菜代米七石。元禄一一年(一六九八)の観音寺居所境内調書(観音寺市教育委員会蔵)では高三四一石余、家数三〇七・人数一千五五三、加子高二七軒・船六五。「西讃府志」では高三四六石余、村域は東西二〇二間・南北一三〇間。西方海辺には湛浦・波戸などがあり、波戸の長さ東西六〇間。南方花稲はないな(現三豊郡大野原町)明神下より北は仁保にほ(現同郡仁尾町)夫婦岩を限り、網代(漁場)とする。

仮屋浦
かりやうら

[現在地名]東浦町仮屋

来馬くるま村の南、海岸近くまで張出した西側の小丘陵と、東面する海(大阪湾)に挟まれたわずかな細長い平地にある。海沿いを岩屋いわや街道が通る。永正一五年(一五一八)四月一九日、あわちや平三郎満吉から中嶋北殿に売却された淡路国のうち「上こうりのふん之内」の伊勢道者株のなかに「かりやのさといちゑん」とみえる(「道者売券」来田文書)正保国絵図に仮屋浦とみえ、高一四石余。正徳元年(一七一一)検地帳(東浦町地域社会センター蔵)によれば高三四石余、すべて畠地で反別三町五反余、うち二八石余・反別二町七反余が加子役二二一人の居屋敷としての免租地。天保郷帳では高一四石余。近世後期には来馬組に属した。反別戸数取調書では反別七反余、高六石余ですべて蔵入地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android