今出村(読み)いまでむら

日本歴史地名大系 「今出村」の解説

今出村
いまでむら

[現在地名]豊田町大字今出

木屋こや川の支流白根しらね川・今出川流域の村で、北はとうヶ岳(五八八・四メートル)を境にして俵山たわらやま渋木しぶき(現長門市)の両村、東は於福おふく(現美祢市)、南はたか(三〇六・八メートル)を境に麻生上あそうかみ(現美祢市)大河内おおかわち村に接し、西は地吉じよし村。長府藩領で豊浦郡豊田筋に属した。

文禄四年(一五九五)の「杉少輔九郎給地付立之事」(「閥閲録」所収杉七郎左衛門家文書)

<資料は省略されています>

とある。慶長五年(一六〇〇)や同一五年の検地帳では、今出村だい村とが合石されて記されるが、台村は白根川流域をさし、慶長一五年の検地帳では総石高は七七九石余、うち田方は六五町余で七二四石余、畠方は一三町余で三〇石余、百姓屋敷五一、小物成六石余とある。

今出村
いまいでむら

[現在地名]西区田尻たじり

田尻村地先の干潟干拓が進み、成立した同村の枝郷。瑞梅寺ずいばいじ川・周船寺すせんじ川の河口部にある。田尻村の田一三町余を割き、貞享期(一六八四―八八)の開発新田六〇町六反余を合せて一村とされた(続風土記)元禄一三年(一七〇〇)元禄郷帳・元禄国絵図作製にあたり「村居有之新田」として書出され、その際田尻村枝郷西新田村から今出村に改めた。高一千三〇二石余(「郷帳」九州大学法学部蔵)。「続風土記拾遺」は元文二年(一七三七)から今出村と号したとする。村名は古くは今井手と記したという(続風土記附録)

今出村
いまいでむら

[現在地名]山崎町土万ひじま

千種ちくさ川の支流志文しぶみ川の中流・上流域に位置し、南は土万村。もとは土万村の一部であったが、元禄(一六八八―一七〇四)以前に分村。元禄郷帳に「古ハ土万村」と注記され、高三一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報