仁井令(読み)にいりよう

日本歴史地名大系 「仁井令」の解説

仁井令
にいりよう

仁井令一帯を領域とした、中世国衙領。桑山くわのやま西峰から嘉永七年(一八五四)出土したという経筒の銘に、

<資料は省略されています>

とみえる。

鎌倉時代以後、国衙を通じて、知行国主である東大寺支配下にあった。保司が置かれ、公文が現地支配に当たっている。保司が置かれたことから保と同一に考えられて「仁井令保」と記されることもあった。佐波さば川河口に位置し、貞和四年(一三四八)五月八日の仁井令公文・伊佐江津公文代等連署和与状案(東福寺文書)によれば、東福とうふく寺領得地保とくじほ(現佐波郡徳地町付近)倉敷が置かれた伊佐江津いさえのつと隣接していたが、伊佐江津側が佐波川河口の土砂を利用して塩堤を築き、耕地を造成したことから両者間に境相論が生じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報