仁井令村(読み)にいりようむら

日本歴史地名大系 「仁井令村」の解説

仁井令村
にいりようむら

[現在地名]防府市大字仁井令の全域、および佐波さば一丁目・寿ことぶき町・桑山くわのやま一―二丁目の各一部

桑山くわのやま西南にあり、村域は桑山西方と南方へ鉤形に延びる。北は西佐波令にしさばりよう村、東は三田尻みたじり村、西と南は伊佐江いさえ村を包み込むように接する。萩藩領で三田尻宰判に属する。

桑山西峰から嘉永七年(一八五四)に出土した経筒に、保延六年(一一四〇)年号とともに「周防国佐波郡仁井令」と記されていた。中世期を通じ東大寺の管理した国衙領であった。

慶長一五年(一六一〇)検地帳では仁井令として総石高二千二九〇石余を記すが、うち田方は一三五町余で一千九九五石余、畠方が二七町余で一八一石余、百姓屋敷一二〇、ほかに塩浜方四二石余があるから、その頃までは海岸にも面していたらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報