仁万村(読み)にまむら

日本歴史地名大系 「仁万村」の解説

仁万村
にまむら

[現在地名]仁摩町仁万町

現仁摩町の北西部、うしお川下流域に位置し、日本海に面して仁万浦(仁万港)があり、山陰道が通る。仁満・仁摩とも記す。

〔中世〕

大治元年(一一二六)六月一九日の石見国司庁宣(久利文書)に仁満郷とみえ、久利くり雨河内あまごうち両郷とともに清原長房の先祖相伝の地として国司から公認されている。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に邇摩郡の公領(国衙領)のうちとして「にまの郡 三十五丁六反百廿歩」とみえる。この郡は郷の誤りと思われる。仁満郷は清原(久利)長房から行房・康房と相伝されたという(「久利家系図」久利家蔵)。しかし南北朝期には久利氏に対立して南朝方に属した仁万弥太郎が郷内に城郭を構え、久利氏および一族の赤波氏らと攻防を繰返している(文和二年四月日「久利赤波重房軍忠状」周防久利文書)。仁万氏が没落したあと、雨河内郷とともに守護大内氏の所領(守護領)に組込まれたと推定され、以後大内氏による石見国支配の拠点地域として重要な位置を占めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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