京極マリア(読み)きょうごく・まりあ

朝日日本歴史人物事典 「京極マリア」の解説

京極マリア

没年:元和4.7.1(1618.8.20)
生年:天文11頃(1542)
キリシタン浅井久政の娘,京極高吉の妻。熱心な禅宗の徒であったが,天正9(1581)年安土の教会でロレンソから40日間教義を学び,夫高吉と共に,オルガンティーノから受洗しキリスト教改宗した。洗礼名マリア。数日後高吉が急逝したため,改宗を誹謗されるが信仰にとどまり,秀吉の側室となった次女・松の丸(竜子)を除く子女を信仰に導いた。長男高次の領国・若狭(福井県),次男高知の領国・丹後(京都府)で生活しながら熱心に布教し,晩年を「此御堂」という庵で信心のなかに過ごし,泉源寺様と慕われた。墓は兵庫県豊岡市の瑞泰寺。<参考文献>結城了悟『キリシタンになった大名

(片岡瑠美子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「京極マリア」の解説

京極マリア きょうごく-マリア

?-1618 織豊-江戸時代前期,京極高吉(たかよし)の妻。
浅井久政の娘。天正(てんしょう)9年夫とともに近江(おうみ)(滋賀県)安土(あづち)で宣教師オルガンチノから受洗,マリアと称した。子の高次(たかつぐ),高知(たかとも)らにも受洗させ,キリシタン迫害下の大坂,丹後(たんご)(京都府)で布教につくしたという。元和(げんな)4年7月1日死去。

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