亥鼻城跡(読み)いのはなじようあと

日本歴史地名大系 「亥鼻城跡」の解説

亥鼻城跡
いのはなじようあと

[現在地名]中央区亥鼻一丁目など

千葉宗家の拠点とされる城跡。千葉城とも。千葉市の中心街の南側、現在天守閣様式の建物(千葉市立郷土博物館)が建つ場所が亥鼻城跡の中核部である。城跡は広大な千葉寺ちばでら台地の北西端に立地し、北側は現在千葉市の中心街が広がるみやこ川が形成した沖積平野に、西側は海岸平野に各々面する。城郭遺構は博物館の西側の現在公園となっている辺りに土塁・堀切・腰曲輪の一部が残るのみで、ここは近世城郭で本丸に相当する郭である。現存遺構だけでは城郭の構造や城域を復元することは困難であるが、数度の発掘調査(報告書は未刊行)によれば、出土遺物からみると一五世紀代に城郭の原形は出来上っていたとみられ、また西縁の土塁の外側には横堀がめぐっていたことと、土塁の規模から一六世紀代にも亥鼻城は機能していた可能性がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報