五十川村(読み)いかがわむら

日本歴史地名大系 「五十川村」の解説

五十川村
いかがわむら

[現在地名]長井市五十川

成田なりた村・もり村の北に位置する。北流する最上川の左岸に主集落の五十川や岡鼠原おかねずんばら宮内くない右岸生僧しようず(東五十川)などの集落がある。永正一七年(一五二〇)四月一日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)に「下長井之庄五十河之郷」とみえ、松木方より買った郷内の「木下在家之屋敷一貫五百文之所、同田五百苅、ゑなかこ五百苅」合せて年貢四貫五〇〇文の地が龍嶋院に安堵されている。大永五年(一五二五)一二月二四日の伊達稙宗安堵状案(同文書)では五十川郷内「河東しやうす新右衛門在家、二貫文、一宇不残」が湯村犬松に安堵された。なお同七年九月五日の伊達稙宗安堵状案(同文書)にみえる「下長井五」は当地のことと思われ、郷内の屋敷などが大塚信濃守に安堵されている。天文三年(一五三四)四月一〇日の伊達稙宗安堵状案(同文書)では松木方より買った五十川郷内の「川場屋敷一宇」など合せて年貢四貫文の地が大津源三に安堵されている。

天文七年の段銭古帳では本段銭三〇貫二〇〇文。

五十川村
いかがわむら

[現在地名]新旭町饗庭あいば

日爪ひづめ村の南東にあり、東は上野うえの村。応永二九年(一四二二)の木津庄検注帳(饗庭文書)に五十川室堂・五十川薬師堂がみえる。天正二年(一五七四)六月の定林坊田畠帳(同文書)に「いかゝは」とみえる。同一一年八月の杉原家次知行目録(浅野家文書)に五十川とみえ、高七〇〇石余。また「吉武 五十川 白雲」で四二一石が記される。寛永石高帳によれば高七四七石余は幕府領、高一〇石余は膳所藩領。

五十川村
ごじつかわむら

[現在地名]南区五十川一―二丁目・井尻いじり一―三丁目・高木たかぎ一―二丁目、博多区諸岡もろおか一丁目・同三丁目・那珂なか五―六丁目

那珂川右岸にあり、東は諸岡村、北は竹下たけした(現博多区)、西は塩原しおばる村。東を諸岡川が北流する。村名は昔は午時講と書いたといい、午時に仏経が講じられたことによるという(続風土記)。天文(一五三二―五五)末年の四月一三日付臼杵鑑続書状(西郷文書/豊前市史 文書資料)によると、大内氏重臣弘中隆兼の当知行地が係争中であったので、臼杵鑑続は隆兼に対して同人本知行地板付いたづけ(現博多区)の替地として「那珂郡之内五十構之村廿五町」などの知行を認めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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