二ノ丸桜馬場跡(読み)にのまるさくらばばあと

日本歴史地名大系 「二ノ丸桜馬場跡」の解説

二ノ丸桜馬場跡
にのまるさくらばばあと

[現在地名]熊本市二の丸

二ノ丸の南西部、古城ふるしろ東方の坪井つぼい川沿いに馬場があったといわれる(熊本市史、国誌)対岸にあたる現在の桜橋・桜町の名称は、新市街建設前後の明治三二年(一八九九)頃に桜馬場にちなみ付けられた。同三五年行幸みゆき坂開削記念として吉野桜が移植されたが、それ以前は山桜・提灯桜・千原の桜・鞍馬の車留・舞鶴などが咲き(熊本市史)、明治初年の写真では市民が大勢休憩しており、山桜の名所となっていたと思われる。北東みなみ坂、南は坪井川、西は古城北西は熊本城二の丸台地西端部の切り立つ高い崖の石垣に挟まれ、二の丸台地から約六、七〇メートルほど低い坪井川沿いの平坦地。西の古城との間は鞍掛くらかけ坂が通り、東は南坂により大きく区画されるが、その中はほぼ三つに区画される。二の丸台地の有吉氏屋敷の高い崖と石垣下の山麓線に沿い、有吉屋敷の南西の隅櫓下から北東に通りがある。西側には有吉屋敷南西隅櫓下から、鞍掛坂の延長線のように山麓下の通りにほぼ直角に通りがある(現熊本合同庁舎西側のバス通)。この通りの南端から、山麓下の通りと坪井川にほぼ並行して北東に向かう通りがある(現合同庁舎南側の道路)。東には慶宅けいたく坂の延長線のように、南の坪井川に向かう通りがあり、坪井川にほぼ並行する通りと結びつく(現在この道の一部が合同庁舎東側に県営熊本城プールとの境目道として残る)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報