乙護山(読み)おとごうさん

日本歴史地名大系 「乙護山」の解説

乙護山
おとごうさん

千石せんごく山の東、背振千坊の中心をなした地域である。この山にはかつて霊仙りようせん(もと誉朗寺)があった。和銅二年(七〇九)元明天皇の勅を奉じて湛誉が開いたもので、この山一帯背振山とよび、この霊仙寺を中宮御嶽弁財天みたけべんざいてんを上宮(→背振山坂本の修学さかもとのしゆうがく院を下宮と称した(肥陽古跡記)

霊仙寺にはのち性空・慈覚・皇慶阿闍梨ら多くの名僧が修行した。建久二年(一一九一)栄西が宋から茶の種子を持ち帰り、霊仙寺の西方石上いわかみ坊の庭に播いた。これが日本で茶を栽培した最初であるといわれる(背振山神社由緒書)。この付近は標高が五五〇メートルほどあり、雨が多く、土が柔らかいので茶の栽培には最適の条件を備えていた。なおこの一帯から宋の時代に浙江省付近でつくられた青磁茶碗茶器が多数発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報