乙坂村(読み)おつさかむら

日本歴史地名大系 「乙坂村」の解説

乙坂村
おつさかむら

[現在地名]上石津町乙坂

牧田まきだ村の東、牧田川左岸、南宮なんぐう山南麓にある。南は牧田川を挟んで沢田さわだ(現養老町)。建暦三年(一二一三)頃の開発と伝え、古くは押坂・音坂とも書いたという。また当村沢田村の分郷であった(寛政六年「牧田村・沢田村山出入につき注進状」県立歴史資料館蔵)正保郷帳によると大垣藩領で、田一五八石余・畑一六石余。慶安元年(一六四八)の免割帳(岐阜大学郷土博物館蔵)には高一五四石余・物成九二石余とあり、高持百姓は六人であった。寛文一二年(一六七二)の居屋敷改帳(同館蔵)では居屋敷を構える百姓七人で、これより後年と推定される家並帳(同館蔵)では家数一〇・人数五〇、牛七。

乙坂村
おつさかむら

[現在地名]鯖江市乙坂今北おつさかこんぶく

文殊もんじゆ山に連なるきた山の西麓に位置する。別所べつしよ村の西南方にあたり、南は落井おちい村、西は松成まつなり村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では今北東郡に「今北落坂村」(高七一二・九四石)とみえ、正保郷帳から乙坂村と記す。同帳によれば田方六六四石余・畠方四八石余。福井藩領。

越前国名蹟考」の引く「足羽社記」はもと忍坂おしさか村であるという。

乙坂村
おつさかむら

[現在地名]朝日町乙坂

丹生山地東端の乙坂山(二八九・九メートル)東南麓にある。村名について「足羽社記略」は允恭天皇の妃忍坂大中姫と関連づけ、もと忍坂おしさかと称していたとする。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「田中七郷」(高八二八六・七三石)に含まれると考えられ、正保郷帳によると田方八七八石余・畠方一一〇石。初め福井藩領、元禄一〇年(一六九七)高森藩領、享保五年(一七二〇)鯖江藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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