丹鶴叢書(読み)タンカクソウショ

デジタル大辞泉 「丹鶴叢書」の意味・読み・例文・類語

たんかくそうしょ【丹鶴叢書】

江戸後期の叢書。154冊。紀州新宮藩主水野忠央みずのただなか編。弘化4~嘉永6年(1847~53)刊。歌集物語故実記録国史などの稀覯きこう本を集めたもの。書名新宮城を別名丹鶴城というのにちなむ。

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精選版 日本国語大辞典 「丹鶴叢書」の意味・読み・例文・類語

たんかくそうしょ【丹鶴叢書】

江戸後期の叢書。一五四巻。七帙。紀州新宮藩主水野忠央(ただなか)編。弘化四年(一八四七)から嘉永六年(一八五三)刊。この名称は新宮城の異称丹鶴城にちなみ、蔵書を丹鶴文庫と称したことによる。忠央の蔵書中から、国史・国文・医学関係の貴重書を選択して刊行したもの。校訂の厳密さと造本の美しさで知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹鶴叢書」の意味・わかりやすい解説

丹鶴叢書
たんかくそうしょ

紀州藩付家老(つけがろう)で新宮(しんぐう)領に配置されていた領主水野土佐守忠央(ただなか)が貴重書物を集めて出版した叢書(そうしょ)。水野忠央は学問を好み、とくに国学を重視した。丹鶴書院に数万巻の貴重な書物を集め、丹鶴叢書編輯(へんしゅう)所をつくり、山田常典(つねのり)を中心に小中村清矩(こなかむらきよのり)、黒川真頼(まより)、本居大平(もとおりおおひら)らを編纂(へんさん)委員とし、国史、記録、故実、歌集、物語などを集めて、七帙(ちつ)171部、162冊の叢書を編纂した。天保(てんぽう)年間(1830~44)に編纂に着手し、1847年(弘化4)に出版を始め、1853年(嘉永6)に第七帙を出版、ほかに『丹鶴図譜』『丹鶴外書』などがある。江戸幕府、紀州藩に献上し、江戸京橋の本屋徳兵衛(とくべえ)の店から発売。その精美なること、これにすぐるものはないといわれた。当時諸藩では漢籍の出版が多かったが、丹鶴叢書のような国書は少なかった。

[安藤精一]

『水野忠央編『丹鶴叢書』(復刻・1976・臨川書店)』『『新宮市誌』(1937・新宮市)』『『新宮市史』(1972・新宮市)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丹鶴叢書」の意味・わかりやすい解説

丹鶴叢書
たんかくそうしょ

江戸時代後期の叢書。 152冊。紀州新宮城 (丹鶴城) 主の水野忠央 (ただなか) が,自己の蔵書中から国史,記録,故実,歌集,物語など古典的価値の高いものを選んで刊行したもの。弘化4 (1847) ~嘉永6 (53) 年刊。本文校訂が厳密で資料的価値も高く,造本が美しいので当時から珍重された。大正初年そのなかの4部を除いて国書刊行会が活字本を刊行。

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百科事典マイペディア 「丹鶴叢書」の意味・わかりやすい解説

丹鶴叢書【たんかくそうしょ】

古典の刊本叢書。紀州家付家老(つけがろう),新宮城主水野忠央(ただなか)編。1847年―1853年記録,故実,歌集,物語,絵詞(えことば),史伝などにわたり,7帙(ちつ)154冊として刊行。収録書目43点。名は水野の居城丹鶴城にちなむ。

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