丸森村(読み)まるもりむら

日本歴史地名大系 「丸森村」の解説

丸森村
まるもりむら

[現在地名]丸森町 横町よこまち本町もとまち深山しんざん山崎やまざき田町たまち川前かわまえ鳥屋とりや新町しんまち羽入はにゆう東向ひがしむかい上滝かみだき五福谷ごふくや中通なかどおり大川口おおかわぐち竹谷たけや欠入かけいりとうげ廻倉まわりぐら羽出庭はでにわ小坊木こぼうぎ

小斎こさい村・金山かねやま本郷の西方一帯。集落は東流する阿武隈川からその南を流れる支流の五福谷川の間の山間部に点在し、一部はうち川沿いにあり、この三河川の合流地は平坦である。村中央に次郎太郎じろたろ(五二九メートル)があり、その西南のツボケ山(四八七・八メートル)の向うは山舟生やまふにゆう(現福島県伊達郡梁川町)で、南は筆甫ひつぽ村と接する。中心集落は水難を避け文化元年(一八〇四)に町場替を行った横町・本町で、南は山崎・片岸かたきし花田はなだ、北は高畑たかばたけ・田町・船場ふなばと延び、東はのぞき鳥屋と広がる。村名は横町東南の矢洗やあらいにあった丸山まるやま(丸森城)の近くに丸森という小山のあったのに由来すると伝える。

天文の乱頃より天正一八年(一五九〇)にわたる伊達・相馬両氏の抗争の場となる。天文二二年(一五五三)集成の晴宗公采地下賜録には当地の名がないが、これは伊達氏一四代稙宗の隠居地であったことによる。正保郷帳丸森宿とあり、雑木山と注され、田一六〇貫八三九文・畑三一貫九七一文で、ほかに新田九貫二四一文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報