丸子渡(読み)まりこのわたし

日本歴史地名大系 「丸子渡」の解説

丸子渡
まりこのわたし

橘樹たちばな上丸子かみまりこ村と多摩川の対岸荏原えばら下沼部しもぬまべ(現東京都大田区)を結ぶ中原道渡船場で、上丸子村東方の多摩川の中の下沼部村の飛地にあった。天保八年(一八三七)四月渡船場法令請書(県史九)および「風土記稿」によれば、四月一日から九月末日まで渡船、冬期は長さ四六間、幅一間の土橋を架した。渡船は四艘が常備され、馬は膝高水位までは川を渡り、これを超える場合のみ馬船が利用された。

明和二年(一七六五)一二月の渡船賃米銭につき議定証文(県史九)によれば、飛地耕作や田畑肥料の運搬、商品作物の付出し、年貢米付出しなどのため日常利用することの多い橘樹郡の上野川かみのがわ村・下野川村(現宮前区)新作しんさく村・かじ(現高津区など)駒林こまばやし(現横浜市港北区)有間ありま(現宮前区)都筑つづき郡の勝田かちだ村・茅崎ちがさき村・山田やまた村・大棚おおたな村・牛久保うしくぼ村・下山田しもやまた(現港北区)、同郡荏田えだ(現緑区)の相対場村一三ヵ村は平常無賃で利用し、一ヵ年分の支払として馬持百姓は一軒につき米三升、麦四升、歩行百姓は一軒につき米一升、麦二升を納入した。

丸子渡
まりこのわたし

下沼部しもぬまべ村と多摩川対岸の橘樹たちばな上丸子かみまりこ(現神奈川県川崎市中原区)を結ぶ中原なかはら往還の渡船場。一〇月から三月までは仮橋を用い四月から九月末までは船渡しであった。渡場には水主八人・定番一人が詰めた。馬渡船の規模は長さ六間二尺から八間、横八尺から九尺。船は文化七年(一八一〇)には三艘、天保八年(一八三七)には四艘が常備され、馬は膝高水位までは川を渡り、これを超える場合のみ馬船が利用された(文化七年「下沼部村明細帳」北川家文書、「風土記稿」、天保八年「渡船場法令請書」川崎安藤家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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