丸塚古墳(読み)まるづかこふん

日本歴史地名大系 「丸塚古墳」の解説

丸塚古墳
まるづかこふん

[現在地名]相馬市成田 船橋

宇多うだ川によって形成された沖積地の低位微高地上に立地し、南北に走るJR常磐線を挟んで東に藤堂塚とうどうづか遺跡がある。船橋ふなばし古墳ともよばれ、六世紀後半の埴輪をもつ全長三〇メートルを超える円墳または前方後円墳と推定される。しかし、近世以来の開発のため墳丘大部分は失われており、現在は農地や工場敷地化が進み、破壊される一方である。昭和三六年(一九六一)に調査が実施され、人物埴輪・飾馬埴輪・円筒埴輪など多数が出土。墳丘裾部では大きな石が確認されているが、主体部は明確でない。出土埴輪の詳細は、男子胡坐像、美豆良の男子像、短い美豆良を左右に結った男子像、平らな髷を頭部に結い前方へ両手を出した女子像、島田髷の像と、馬具一式を装備した飾馬や馬の頭部、多数の円筒埴輪などである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「丸塚古墳」の解説

まるづかこふん【丸塚古墳】


⇒久津川車塚-丸塚古墳(くつかわくるまづかまるづかこふん)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報